スプラトゥーン2

四年生がやりたいというので買ったけど僕はまだほとんど触れてない。というか、グラフィックの質感のちょっとした違い(床や壁に塗られたインクの描写は2のグロッシーな感じより、1の粘度の低くてさらっとしたのが好きだった)やら新曲のちょっと様子の違う感じやら、試射会で触ったころからなんとなくしっくりきてない部分をひきずっててあんまりテンションが上がってない。こないだひさしぶりにWiiUで1を立ち上げたけどあの初期ロード時の画面と曲の初期衝動感がやっぱり好きだなーと思った。インディーズから応援してたバンドがメジャーデビューしたのを見てるみたいな感じなのだろうか…

四年生はあっというまにヒーローモードをクリアしていてエンドロールを見せてもらったけど、スタッフ全員の名前がグラフィックロゴになってるのにちょっと生中継68のエンディングを連想した。

これね


『「東京藝術大学ゲーム学科(仮)」展』を見た

東京藝術大学ゲーム学科(仮)展


取手の授業の帰りに見た。単なる成果発表展ではなく、スクエニのゲーム制作に関する講義や、南カリフォルニア大学のゲーム学科講師によるワークショップなどの「カリキュラム」なども設え、可能な限り「東京藝大にゲーム学科がある」ということを模擬することを目的とした展示。既存の学生アニメ作品を選出し、その監督とスクエニのスタッフを混合したチームで各作品をゲーム化するという「A to Gプロジェクト」の作品を見てきた。

プロジェクトの趣旨の文章に「ゲームとアニメの共通点は世界観を先につくること」みたいなことが書いてあり大丈夫かと思ったけど、アニメーションで一度構築された世界をゲームらしくまとめること自体はぶっちゃけゲーム側の才能だけでもできることなのであって、このプロジェクトで求められているのはアニメ作品そのものではなく、アニメーション作家が持つ独特な(『個人的なハーモニー』の言うところの「個人的」な)感覚が、ゲームになるとしたらそれどういうものかということであり、インディーゲームの世界で起きつつあるという越境(ゲームという名の、オルタナティヴなアニメーション:ひらのりょう×土居伸彰連載第4回|WIRED.jp)もそういうものなんだと思う。『鞍馬の火祭り』とかはアニメーション作品はとても質感が大切にされたよい仕上がりなのにゲームはとくにひねりのないVR脱出ゲームになってたのは残念だった(もういっそ妖怪キャラも3DCGにして台無しにしてしまうと32ビット世代コンソールのローンチタイトル的なヤケクソ感がでて逆によかったかもしれない)。アニメはよかったのでリンクを貼っておく。


僕が触ったなかだと一番気になったのは『群生地生放送』で、テンキーでアニメーションを切り替えていくのみの作品でゲームというよりは一昔、いや二昔前のマルチメディアコンテンツ的な仕上がりではあるんだけど、キーをたたいた後にややあって鳴る謎のビープ音みたいなSEのタイミングとその後始まるアニメーションのクールさがなかなかに秀逸で、アニメーション作家のゲームとしてこういう形もあるかもと思わされた(とはいうものの作家の意識としてはゲームというよりインタラクティブな要素もあるインスタレーションくらいの感じなんだろうなという気もする)。『ZONE EATER』も映像のトーンも感じられつつおもしろく体験したけど、Viveの新鮮み分が多めだったのかな。『Santiago』は調整中で体験できなくて残念だった(Viveはルームスケールセンサを近接して設置すると干渉が激しいのか他の作品の体験中かなり問題があった)。

おもしろい試みだと思うのでこれ継続されるといいな。


『Digital: A Love Story』をクリアした

Digital: A Love Story


GPD Winに入れてクリアした。AmigaのOSっていうかウインドウシステムに模したブルーがまぶしいインターフェイス(Amie Workbench)で、1988年のティーンエイジャーとおぼしき主人公がダイアルアップでのネットワーキングを楽しんでいるうちになにかちょっと思い詰めた感じの女の子からのメッセージが届きはじめ…というインターフェイス没入型のアドベンチャーゲーム。こういうPCやスマホのGUIを通じてフィクションに没入させるタイプのゲームって最近とみに増えてるんだと思うけど、ちゃんと名前ついてるのかな。

88年のパソコンのGUIが再現されているわけで当然操作性は当時の水準に忠実で良くなく、それをGPD Winのパッドのマウスモードでプレイしたのでプレイ環境としてイマイチではあった。まあそこもゲームの味と言えなくもなかったけど。ちゃんと初めてつなぐBBSの電話番号が接続されるか不安になったり、違法コードを使って長距離回線を使うとちゃんと(当時もそんなことしたことないけど)ドキドキできてよかった。相手からのメッセージに「返信」ボタンを押すと自分からなんらかの返事をしたことになってそれに対する返事が帰ってくるというのがちょっと無理あるかなと思った。慣れれば入り込めたけど。


『Zip Zap』をプレイした

Zip Zap


Waypointの記事で興味を持って買ったスマホゲーム。画面をタップ、ホールドすると各ステージに配置されたいわゆるメカノみたいなメタルプレートが組み合わされたオブジェクトが、各接続部に対してトルクが発生するという形で動く。この単純なモデルと駆動ルールのみによって生まれる動きの多彩さやおもしろさがすでに十分魅力的だったりするわけだけど、ゲームとしてはそのオブジェクト(ステージによっては転がってくるボール)を所定のポイントまで持っていき、一定時間接触させるとクリアになるという仕組み。

ステージが進むとけっこう高度な動き(その運動の高度さが床運動や鉄棒のような体技に近いものに見立てられている)が要求されるんだけど、それもタップのタイミングと長さのみで実現される点、スワイプできわめて簡単かつテンポよくリトライできる点、高次面も繰り返していればまぐれでタイミングが合いクリアできるようになっている点などカジュアルゲームとして完成度が高くて、かつタップの精度がそれほど要求されないので小さい子供でもプレイしやすいとこがいい。子供といっしょにげらげら笑いながらプレイしている。


リサンヌ・パジョー/ジェームズ・スワースキー『インディー・ゲーム:ザ・ムービー』を観た

インディー・ゲーム:ザ・ムービー


Netflixで。『アタリ:ゲームオーバー』もそうだったけど、海外のこういうマニアジャンルドキュメンタリーは題材にさほど興味のない人も引き込むポップさと、それに引かれて観た後に残るほろ苦さが絶妙でおもしろい(他のをそんな観てないので一般的にそうなのかはよくわからないけど)。この感じがそもそも(海外の)インディーゲームの手触りに近いようにも思う。

登場するインディーゲームの開発者たちの、哲学者(『Braid』のジョナサン)、ワナビー(『Super Meat Boy』のエドムンドとトミー)、トリックスター(『FEZ』のフィル)という顔ぶれに、なんとなく『マネー・ショート』を連想した。


地方病(日本住血吸虫症)Wikipedia記事ビジュアルノベルをプレイした

5月に自分誕生日プレゼントでゲーミングコントローラ標準装備のUMPCクラスのWindowsマシンGPD Win(アルミパネルrev)を買ってぼちぼちセットアップしながら遊んでいる。ガジェット好き界隈ではちょっと前から話題になっていたハードだけど、僕としてはとにかくコントローラ付属でPCゲームやおもしろそうなWindows専用のフリーゲームを手軽にプレイできるんならいいなという動機で購入した。

週末はWindows専用のゲームで遊べなかったので思い出した、以前井上明人さんが作っていた「地方病 (日本住血吸虫症)のWikipedia記事)をnScripterでビジュアルノベル化したやつをインストールしてプレイしてみた。子供の相手しながら手持ちでPCフリーゲームがプレイできるのはいいね。

地方病の記事そのものは以前ひととおり読んでたけど、ビジュアルノベルっぽいシーンやBGMの切り替え、メッセージの表示速度制御があるとたしかに「物語」としてプレイできる(人物に感情移入しやすい)なと思った。あとよりゲーム的にする味付けだと思うけど途中3つほどその後の展開をプレイヤーに予想させる選択肢(たんにプレイヤーに選んでもらうだけで、それがプレイ内容に反映されたりはしない、と思う)が用意されていて、たしかにこれがあるとその後を読み進める心持ちが変わるなーと思った。


天野讓二『幻の未発売ゲームを追え! ~今明かされる発売中止の謎~』を読んだ

幻の未発売ゲームを追え! | 徳間書店


知らなかったけどゲームサイド(ほか)での連載をまとめたものだった。なるほど。未発売の殿堂入り的なゲーム(『スペースファンタジーゾーン』とか『神罰』とか)は扱えないんだな…と思いながら読んでいたんだけど、遠藤正二朗さん、宮内信子さんののメガCD版『銀河鉄道999』についてのインタビューがハイライト的におもしろく、なかなかいい本だったなと思いつつ読み終えた。未発売に終わったメガCD版『銀河鉄道999』についての遠藤さんの構想(『999』の原作漫画は停車する星ごとにトップダウンで奇妙なルールが強制されるという意味で「ゲームっぽい」ので、ゲームにするとおもしろいだろうと思っていた)や名言(「画面レイアウトの試行錯誤は『思考停止した者勝ち」みたいな面があって、考えるのをやめて作り込みに集中した方がゲーム全体のクォリティが最終的に担保される傾向がありましたね…」)、『銀河鉄道999』がらみのいい話(CVの録音スタジオに残っていた『999』専用のハンコをテープラベルに押してもらったとか)がたくさん入っていていいインタビューだった。

XBOXで発売予定だった『戦場の出前持ち』の顛末についてガビンさんとカツキさんが語っているインタビューもあるんだけど、このゲームのプロジェクトが走っていた頃はちょうどガビンさんに呼ばれて僕が助手業を始めたころだったので(内容についてはなんにも関わってないですが)ちょっとだけ関連するエピソードがあったりする。それはちょうどガビンさんの担当する2年生の授業がある日で、授業時間ぎりぎりに憔悴した様子で到着したガビンさんが「ゲームが…飛びました… ぜんぜん授業してる場合じゃないんだけどね…」と耳打ちしつつ教室に。そして最高に間の悪いことに、その日の授業には、先生がXBOX向けのゲームを作っていることを聞きつけた数人の学生が、ちょうどそのころUTがマイクロソフトとコラボして販売したXBOX Tシャツを揃いで着込んできており、ガビンさんにサプライズとばかりに見せつけてきたのだった。それ以上ないほどのサプライズのあったその日に。


HTC Vive体験会

デジティミニミ社の社内勉強会的な位置づけでHTC Vive(これはデ社所属のサイトさんの私物)の体験会をしていたので参加してきた。いままで体験会のたぐいやVRゲームセンターでそこそこVRゲームは触ってきてたんだけど、時間制限のあるアーケードゲーム的なゲームしか体験してなかったところ、今回はサンドボックス的なVRデモ環境やSteamのVRインディーゲームを結構長い時間(たぶん一人で1時間近く)プレイできたので、VRのイメージがけっこう変わった。

プレイしたのはValve『The Lab』のミニゲームいろいろと『Job Simulator』、『Final Approach』、『Google Earth VR』、『Tilt Brush』あたり。ライド系ではないルームスケールVRを生かしたタイトルはプレイ感覚の新鮮さはもちろんあるんだけど、感じたのは「顔を近づけてよく見る」という動作が可能なことがすごく重要なんだということ。つまりいままでCGでできなかったことって「顔を近づけてよく見る」ことだったんだと思った。『The Lab』のロボットを修理するゲーム(『Robot Repair』)で製図棚を引き出すと飛び出す絵本のようにオフィスのミニチュアがポップアップしてデモが始まるみたいなシーンがあって、それとか顔を近づけて見るだけですごい楽しかった(いま思ったけど、あれは『Pop up Computer』作ったゲントさんに見てもらうべきだったな)。あと『Tilt Brush』も3Dお絵かきツールと言えば一言だけどそれがほぼ完璧(トラッキング精度やUIの完成度などの意味で)な形でそこにあることによるできることの広がりは想像以上のものがあって、その場で数人がかわるがわるプレイするだけでも新しい使い道がいくつも生まれていた。ルームスケールVRのサンドボックス系のソフトには全体的にパソコンを触り始めたころのワクワク感に近いものを感じてこれはやばいなと思った。家でプレイするのにはいくつもの障害があるので現実味ないけど…

ただ、長時間プレイしてもVR酔いも疲労感もないなと思ってたんだけど、HMDを外して興奮が醒めたらとてつもなく疲れていることに気づいた。これも慣れの問題なのかな。


石井ぜんじ『ゲームセンタークロニクル (~僕は人生の大半をゲームセンターですごした~)』を読んだ

ゲームセンタークロニクル (~僕は人生の大半をゲームセンターですごした~)
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1972年以来のゲームセンターとその場を賑わせたアーケードゲームたちの盛衰と、記録に残らない「ゲーセンとそこに集うゲーマーの空気」を、元ゲーメスト編集長石井ぜんじさんが綴った回顧録。最初から読んでてクロニクルというタイトルなのにずいぶん飛ばすんだなーと思っていたらそれはぜんじさんのゲーセン人生のあらましを紹介する序章部分で、1章以降はふたたびゲームセンター黎明期に戻って語り直すという構成でびっくりした。アーケードゲームの本らしく2周エンドのシステムなのか! とか思ってたんだけどそこ以外でも同じ趣旨の文章が何度も繰り返される部分が見受けられ、あんまり編集が入ってないだけなのかも。技術面に関する記述がかなりいい加減なのもつらい…。まあ技術は専門じゃないから仕方ない部分もあるのかもしれないけど、ゲームシステムの新規性についての記述はもうちょっと資料性のある書き方になってたほうがよかったのでは。

帯にぜんじさんが主宰するビデオゲーム研究雑誌「VE(Videogame Exploer)」が五月に立ち上がると書かれていたんだけど、まだ始まってないみたい。


田中治久(hally)『チップチューンのすべてーーゲーム機から生まれた新しい音楽』を読んだ

チップチューンのすべて All About Chiptuneーーゲーム機から生まれた新しい音楽 | アイデア - 世界のデザイン誌


素晴らしい本だった。『現代ゲーム全史』を読んだとき、コンピュータと音の関わりやゲーム音楽についての言及が妙に少ないなと思ってたんだけど、後にこの本が控えているのがわかっていたからなのか…と思ってしまった(違うかな?)。

コンピュータから再生される「電子音」の誕生と、その発展としての音源チップ、つまり「楽器」ではなく「コンピュータの一部としての音源」が、どのように発展し、どういう形で人々の耳に触れ、そして誰がそこに、のちに「チップチューン」と呼ばれることになる固有の表現を見いだしていったのか。それを膨大な資料からの丹念な研究によって明らかにする、コンピュータ音楽史研究家としてのhallyさんの集大成のような本。これを2017年に日本語で読めるのを感謝したいとしか言いようがない。

僕はこの本の区切りでいうと、国内の(商業)ゲーム音楽隆盛期から国内パソコンでのチップチューン的な価値観の断絶期(第2章 チップチューンの成立 II 国内編)で知識が止まっていたので(恥ずかしながらhallyさんの活動は知りながらもVORCで情報を得ることをしていなかった)、SIDチップとロブ・ハバードの仕事を中心とした海外でのチップ音楽の価値観やトラッカー音楽とデモシーンを通じたチップチューンの胎動期についてはとても多くのことが知れたし、その散り散りに存在したコミュニティーが、他ならぬインターネットとハードウェア・エミュレーションという真にコンピュータ的な技術によってその障壁が崩され、「チップチューン」というひとつのシーンが大きく立ち上がったのだとする記述は、hallyさんの筆の熱もありとても感動的に読んだ。

インターネットとサウンド・エミュレーションの普及がある程度進んだ段階で、人々は気付き始める。言語が違っても、使用機種が違っても、音楽の趣味は共有できるかもしれないと。この種の音楽が好きな人々は、世界中にいるかもしれないと。PSGやSIDといった特定のデバイス名だけでは言い表せない、音源チップ「全体」を包含する、より大きな世界があるかもしれないと。隔てられた世界が繋がり、ひとつのシーンを形成するに至ったとき、今日的な意味での「チップチューン」、すなわちトラッカー音楽に限定されない、音源チップの単純波形に由来するすべてのサウンドを包含する「チップチューン」の時代が始まる。

『チップチューンのすべて』 - 第3章 IV “モダン・チップチューン” 前書きより

注釈に資料URLがたくさんあって、一部歴史的音源の視聴リンクなんかもあるのでぜひどこかでクリックしたいと思いリンク集を探したんだけどまだ作られていないようだったので、ちくちく入力して勝手リンク集をつくった。注釈のほかディスクガイド・アーティストのアルバム情報ないしbandcampへのリンクや(リンク先が雑なのであとで修正したい)、原著中で代表的に扱われているゲームや楽曲、デモが現時点で見られるyoutubeリンクなんかもざっくり入れてあるのでこれから読まれるかたは傍らでリンクを開いたりするとよいんではないかと。