藤田祥平『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』を読んだ

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ | 種類,単行本 | ハヤカワ・オンライン


IGN Japanのレビューやコラム連載も楽しみにしている藤田祥平さんの初長編小説。『電脳奇譚(IGNのコラム)』などを読んでいてもこれどのくらい実体験でどのくらい創作なのかなと気になっていたけど、「半自伝的小説」と銘打たれたこの小説でもその多くが実体験からと思われる語りで構成されていて、ヴォネガット流と言えばいいのかな、世界に強烈なNOをつきつけらればらばらになった人間の諦観と、その魂が自分が生きるべきもう一つの世界を探す彷徨とをモザイクにしたような小説だった。とてもよいと思う一方でこういうスタイルの小説に感化されるには自分が歳をとりすぎてしまったなとさびしくも感じた。

奥さんによると、居間に置いてあったこの本を小5の長男が見つけ、ゲームに関係する話らしいことを了解して「これ読んでみようかな」と言ったのだそうだ。奥さんが帯の惹句(『母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室で宇宙艦隊を率いていた』)に触れたらじゃあやめとくと引いたそうだけど、若くそして僕よりよっぽどゲーマーの素質がありそうな彼がこの本を読んでいたらどうなっていただろうか。


『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』


こないだのPS Storeセールで買っていた『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』クリアした。とてもよかった。これVR版とか出たらプレイし直してみたいな。

ゲームの中での(フィンチ家の人々の死因の)体験はそれぞれきわめてフレッシュかつ刺激的でよかったけど、ひとつ挙げるならやっぱりLewisのやつ(魚の頭を落とす作業をしながら空想に浸るやつ。Jerry Chu氏のコラムでも詳しく触れられている)だな。空想と現実が同居する感覚をあれほどすぐそこにあるものとして描き得た表現って他にないと思う。Barbaraのコミックの中に入る感覚もなかなかだった。


ブラッド・ペイトン『ランペイジ 巨獣大乱闘』を観た

映画『ランペイジ 巨獣大乱闘』オフィシャルサイト


特に何の期待もなく観に行ったけどとてもよくできた娯楽作でおもしろく観た。元ネタのゲームが80年代ものだからなのか、演出も80年代感(ダサいという意味じゃなくて、ウェルメイドという意味で)があった。巨大オオカミ+ハリネズミのラルフのアクションがフレッシュでもっと観たかった。

そういえばオリジナルのゲームプレイしたことなかった(Beepにマスターシステムの移植版の記事が載っていておもしろそうだなと思って読んだ記憶がある)のでやってみようと思って探したら映画のプロモーションでアーケード版の移植がWebで遊べるサイトがあった(Rampage Arcade Game – In theaters April 13, 2018)。キーボードだとあんまりちゃんとプレイできないけど、ちまちましたキャラや細かく壊れるBGとかアーケードというよりもパソコンゲームっぽい感覚のあるゲームなんだな。


ナツゲーミュージアム『リアルナムコミュージアム』に行った

ナツゲーミュージアム


GW特別企画かー行きたかったなーと思っていたらGW明けもまだやっていたので行ってきた。サブマリンも稼働しているというので『ギャラクシアン創世記』を読んでナムコの工学系エレメカをもう一度見てみたかったというのも大きかったんだけど、現在の部品でのメンテナンスの具合で仕方ない(というか稼働しているのが奇跡)と思いつつ往時の(記憶の中の)奥行きのある海と印象が違ったのがちょっと残念だった。あとほかに『ギャラクシアン創世記』で澤野さん企画として「失敗作だった」と振り返られていた『キング&バルーン』を初めてプレイしたんだけど、後の『ギャラガ』に引き継がれるアイデア(キングがバルーンで連れ去れれるのとか、敵バルーンが合体して襲ってくるのとか)が盛り込まれているのも知らなかったので興味深かった。

あと『ゼビウス』をプレイしてたらいわゆるエリア間の森の中にゼビウス軍の秘密基地がある状態(エリアの敵キャラデータの転送途中でミスしてエリアが戻されると発生すると言われているやつ)を初めて自分のプレイで見た。これは確かに意味深なグリッチで当時見たら噂になるだろうなあ。

好きなゲームオーバー

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Oculus Goを買った

Oculus Go | Oculus


PSVRもスルーして、VRヘッドセットはスタンドアロンのDaydreamデバイスが日本で買えるようになってからかな…と内心思っていたんだけど、自分の誕生日プレゼントとしてなにか買おうかなと物色していたタイミングでOculus Goがいきなり販売開始されたを見て衝動買いしてしまった。衝動からの注文だったせいもあり住所はばっちり日本語で入力していたので、雑な機械翻訳で配送先が書かれて配送が混乱しているという話(話題のOculus Goで配送トラブルが発生中 注文の際、住所は「英語」で書くべし(訂正あり) – PANORA)に戦々恐々としていたんだけど、結果的には僕の注文に関しては問題なかった。配送のトラッキング情報をチェックしていたらCHIBA-SHIで「荷受人が留守または休業」というステータスに変わったので、

これは間違った住所に届けられたのか? と思ってFeDexに問い合わせメールを送ったら折返し電話があり、「住所は多少間違っているが問題なくて実住所が不在だっただけ、CHIBA-SHIと表示されているのはFeDexから配送を受け渡した国内業者の営業所が千葉だということを示している」とのことだった。丁寧なサポートでFeDexの好感度上がったけど表示はちょっと工夫してほしいな。あとモバイルビューが日本語対応してないのも。

VRヘッドセットとしての完成度は評判通りで、スマホを触るくらい、とまではまだいかないまでも、ノートパソコンを開くくらいの心理的負荷でVRにアクセスできるのは素晴らしい。変にもったいつけられて期待値が上がらないのでVRコンテンツ自体の驚きも増す気がする。さすがに大きさや現状の用途的に日常持ち歩くデバイスにはならないけど、あと2世代くらいデバイスとソフトの進化が進むとまさに今の「スマホを触るくらい」の感覚で触れるものになっていくんだろうなと思う。

ソフトはまだいろいろ試している段階だけど、いっこ挙げるならSmash Hitかな。Coco VRは出来は悪くないけど期待があったぶんいろいろ残念に思った。評判のvirtual virtural realityもいいんだけど、ゲームシステム的にポジショントラックを前提としているのでGoのコントローラだとどうしても操作のストレスが大きい。HTC Viveとかでちゃんとやりたい。

あとBlade Runner 2049: Memory Lab | Oculusがある意味よかった。これゲームとしてはすごいしょぼくて、グラフィックのクォリティとくにテクスチャの解像度が初代PSくらいな一方で実写ムービーとの合成があったり、総体として1995年のゲームの雰囲気を醸しているだけど、このドレスダウン感が逆にサイバーというか、わざとじゃないんだろうけど「当時のスペックで夢見られたサイバーパンク/VRの世界」を今体験できるというコンテンツになっているのでそういうのが好きな人におすすめ。ただこういう頻繁に周囲を見回して体験するゲームはちゃんと立ってプレイしないと首にとてつもなく負担がかかるというのが翌日わかった。


スティーブン・スピルバーグ『レディ・プレイヤー・1』を観た

映画『レディ・プレイヤー1』オフィシャルサイト


静観していたらアヴェンジャーズが封切られてあっという間に上映規模が小さくなっていたので慌てて観に行った。どうせならと新しいTOHOシネマズ日比谷に行ってみることにしたんだけど、ゴールデンウィークにそういうことをするものではなく、シネコンのある階にたどりつくエスカレーターに乗るだけに行列させられて映画に遅刻してしまった。

静観していたのは原作はすでに読んでいて(原作の邦題『ゲーム・ウォーズ』はきっと映画邦題が先にこれに決まっちゃってて渋々合わせたんじゃないかと思ってたけど、そうじゃなかったみたいね)、この作品に触れて「マジでか!」と思うポイントは一応体験済みだからなーと思っていたからで、観てみても実際そんな感じもあったけど(ゲーム系の参照は原作よりも目立たなくなってるのが残念)、80年代ポップカルチャーの知識の深さが「強さ」になる世界があれば俺が最強のはず…という、ようするにアメリカ版のなろう小説みたいな脂ぎった原作が、当の80年代の神の一人であるスピルバーグ本人によってポップな娯楽作品に翻案されているところにはクラクラした。フーツラ系の書体で「READY PLAYER ONE」とドカンと出るエンドタイトルがいちばんアガる感じがあった。


『レイジングループ』をプレイした

人狼×JホラーADV レイジングループ


Android版でちびちびトゥルーエンドのとこまでプレイ。DDLCにつづいてせっかくなのでノベルゲームをやろうとmsrkbさんがおすすめしてた本作をなにも知らないまま始めたんだけど、まんまとハマった。素晴らしかった。

なにがいいのかなと考えてみると、ノベルゲームというテキストでできているゲームとして、隅から隅までのテキストに魂が入っているところが没入を生んでいるんだろうと思う。物語やシナリオなどゲーム本編部分がテキストとして質が高いというのはもちろん、ゲームスタート直後のチュートリアルやヒントコーナーといった「ゲーム外」としてしまってもよいような部分まで含めて、この『レイジングループ』というゲームの世界とキャラクターの空間のリズムや親密さを、しかも閉じた感じを絶妙に外しながら生み出しているところに僕はいちばん感銘を受けた。


『ユリイカ 2017年2月号 特集=ソーシャルゲームの現在 ―『Pokémon GO』のその先』を読んだ

青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2017年2月号 特集=ソーシャルゲームの現在


読んでなかったので読んだ。単なるゲームの話題に終始しないテーマとしてゲームを語ってくれ、という言外の注文としての「ソーシャルゲーム」特集で、結果的に各論者が一般的な「ソーシャルゲーム」についての背景とこの論考における「ソーシャルゲーム」を定義することにかなり紙幅を使っておりこれでいいのかと思ったけど、たしかに他では読めないようなゲームの話になってておもしろいという部分もあり複雑な気持ちになった。

ビデオゲームの持つ「自己言及的リアリティ(ビデオゲームにおいては、現実の物事が現実とはまったく別のかたちで表象されながら、それが「ゲームの現実」として流通する)」の側面をを通じて、ゲームプレイそのものが現実への抗いになりうる可能性を論じた吉田寛さんの「〈抗い〉としてのゲームプレイ ゲーム的リアリズム2・0のために」が面白かった。これ読んで「行為のシミュレーションとしてのビデオゲーム」読んだときに知った「ゲーム化する世界」を忘れてたのを思い出したので今度はこれを読もう。


コントローラがしゃべるやつ

PS4で『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS : M∀RS』の体験版が配信されていたのでためしにプレイしてみた。ANUBISはPS2のオリジナルをプレイしているのであーこういう感じだったな(今見るとちょっと見劣りするな)と思ったんだけど、ひとつはっとしたのはPS4版はジェフティ(プレイヤーの操縦するオービタルフレームのAI)の音声がPS4のコントローラ側スピーカから出る仕様だったこと。

標準コントローラにスピーカーがついていてゲームのフィーチャーとして使われたのってWiiリモコンが最初かな? 最初にWiiスポーツをプレイしたときにコントローラがプレイヤーに向けた音声情報を流すのに結構衝撃を受けた覚えがある。制約上(Bluetoohのストリームになることとかスピーカーが物理的に小さいこととか)妙に歪んだ音声が鳴ることによる違和感も大きいんだけど、コントローラという自分の身体化されるデバイスが、「乗っ取られる」ような感覚があるんじゃないかと思っている。

その意味でいうとPS4版ANUBISは、プレイヤープレイヤー(ディンゴ)が搭乗しているロボットに接続され身体化しているという設定において、自分の一部であるデバイス(コントローラー)が自分と別の意志を持つAIとしてしゃべっているというハイブリッド感が演出されていることになるなと思った。これPSVRでプレイしているときも鳴るのかな。


『Florence』をプレイした

「Florence」をApp Storeで


DDLCをクリアした勢いでゲームどんどんやろうと思って同じく短い『Florence』を買ってプレイ。ドトールでコーヒーを買って席でヘッドフォンをつけてゆったりプレイ始めたら飲み終わるうちに終わった。この値段(¥360)でこのボリュームどうなのという意見もあるみたいだけど、コーヒー1杯分の値段と分量ということなんだと思う。

インタラクティブの形態としては幼児向けのデジタル絵本的なアプリに含まれるものとほぼ同質で、『モニュメント・バレー』のような抽象的だったり虚構度が高い世界であればやることが単純でも気にならないけど、舞台が身近で具体的なものだと野暮で幼稚なものに見えてしまうということなのかな…と思いながらプレイしていたんだけど、いくつか「!」と思ったものは、藤幡さんのいう「インプットとアウトプットの間の詩的な関係性」が感じられるものだった。なかでも新鮮だったのは、2つのインタラクションが「韻」を踏むように配置されているものだったりで、つまりこうしたタイプの(インタラクションの質やメカニクスの複雑さをあえて排除した)ゲームには、「文学的なレベルデザイン」と呼べるような制作が必要なんだろうと思った。