
■去年の夏ごろから開発スタッフとして参加しているBCCKSのマルチデバイス対応リニューアルプロジェクトでつくっているものが、なんとかようやく発表できる段階となり、6/2の発表会をひかえてそのあたらしいBCCKSでつくられた「本」をPCリーダーで読めるサンプルが公開されました。田中はこのPCリーダーの縦書組版をふくむレイアウトエンジンの実装や、新しいブックデータのフォーマット検討作業、あとサービス側のエディタなどもろもろを担当しております。ていうかまだ終わってないんですけどね。
- あたらしいBCCKSリーダー
- ※ちなみにWindows環境のかたはできればSafariで、フォント表示設定を「Wndows標準」から変更したうえで見ていただけるとベターです。
- さらにIPAフォントをインストールしておいたりするとモアベターです。こんな感じになります
計画とサービスの全容については発表会でみっちり発表されるはずなので6/2をお待ちいただければと思うんですけども、僕が担当してる電子書籍リーダーの技術方面については実際に開発にかかわってみて個人的に考えたところもあるので勝手に書きつけておこうと思います。
■電子書籍というものがすでにある音楽や映像の電子流通とやや事情がことなるところに、一般に「書籍」というものに、たんなるデータではなく「データを表象するデザイン」が期待されているという点があります。本質的にはデータストリームである音声や映像などとことなり、書籍はデータとしての内容が必要なのは当然ながらも、その可読性や内容の価値を説得するデザインやパッケージングがしつらえられて初めてそれなりの商品価値が生まれるのであり、もっというと商品価値に相応するデザインやパッケージングがなされた状態のもののことをわれわれは「書籍」と呼ぶことが多いはずです。
この「書籍」なるものにたいする期待に応えるべくいわゆる電子書籍やそのリーダーアプリケーションは提供されなければならないわけですけども、さらに困難なことに「書籍のデザイン」とされるものはそう単純なものではなく、いくつものレイヤーでのデザインが集約されていなければなりません。その最たるものが書籍における「ページ単位のデザイン」と「ドキュメント単位のデザイン」の関係です。このうち「ドキュメント単位のデザイン」については、htmlのマークアップとcssによるスタイリングというある程度枯れたWeb技術があり、現在本命といわれているリフロー型電子書籍フォーマットとされているものはどれもhtml+cssを採用してドキュメントをデザインしていますが、このドキュメント単位でデザインされたコンテンツにどうやって「ページ単位のデザイン」を定義すべきか、という問題については、現状の電子書籍技術およびWeb技術はミドルウェアどころかノウハウも蓄積されていないんじゃないだろうか、ということを僕は今回電子書籍リーダーを作りながら考えていました。Webの世界ではスクロールバーがあれば解決できていたことだからです。
電子書籍にスクロールバーがあったらいけないか、ということについては議論の余地がありますが、すくなくとも現状の「書籍」にたいする期待に添うものとは言えないでしょう。そして、立体物、物質としての魅力をもたない電子書籍にとって、唯一「書籍」としての商品性を主張できるのが「ページ単位でのデザイン」になるはずです。またそれは読書のインターフェイスとしての機能性(どんなデバイスでも最適に読めるとか、文字の大きさが変えられるだとか)もあわせもつ必要があり、しかもレンダリングをWebコンポーネントにおまかせできずドキュメントのパースから画像や文字のプロット、レンダリングまでをすべて面倒見る必要があるため技術的な難易度も高い〔面倒くさい)。電子書籍とそのリーダーにおけるページデザイン/レンダリングはおそらく最も重要な技術になりますが、たとえば現在策定中のEPUB3.0のドラフトを見ても、ページ単位でのデザイン、スタイリングに対する仕様や議論はほとんど出てこないように見えます(そこまで精読してるわけじゃないのであったら教えてください。あるいはEPUBは汎用の刊行物コンテナの仕様なので特定のビューに対する議論はしないみたいな方針なんでしょうか)。
というわけで、あたらしいBCCKSでは、リフローときれいなページレイアウトを両立させるべく、htmlの特定のマークアップパターンで分割されたテキストブロックごとに、版面設定、エレメントのページへの配置スタイルなどのページレイアウトスタイルを定義する独自仕様のスタイルシートを用意する、独自フォーマットを使用することにしました。独自フォーマットといってもコンテナの仕様はEPUB互換なので、EPUBリーダーむけスタイルシートを用意することでEPUBリーダーでも読むことができるものになる予定です。もちろん各デバイススクリーンの寸法や解像度に合わせたページレイアウトを多重定義して、それぞれに最適なページデザインでのレンダリングを行うiPhone/iPad/Androidアプリも開発中です(こっちは僕の担当ではないですが)。
今回開発にたずさわって書籍デザインのキモについてはじめて知ったり実感したことも多いのですけど、本のページデザインというのは、版面(はんづら:ページの中で組版を行う矩形領域)とそこに流れる本文サイズと行間というものをかなり固いルールとしてさまざまな条件を考慮して設計し、文字や写真をこの版面の矩形をなるべく満たすように配置しながら時にはずしたりすることで基調を保ちながら本としてのリズムをつくるところにあるのだそうです。こういうことはできるようにしてほしい、という条件を組み込んでようやくスタイルをテストできるようにしたリーダーをつい先日ご存知スタジオボイスを廃刊に追い込んだ前科二犯のグラフィックデザイナーこと松本弦人さんに渡したところあっというまにできてきたのが公開されてるサンプルブックです。

これを最初に見せてもらったときはテキストが「本」にデザインされるこういうことかーと思いました。この仕組みでの他のデザイナーの「本」がどうなるのかも見てみたいですなー。
まだサービスとして一般公開するには開発の難関をいく山か越えねばならないのですが、ひとまず6/2の発表会をご期待くださいませ!
■梅田望夫「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」を読んだ。当然ながら、基本的には知ってたりわかったつもりになっている話が書いてあったという感じだったんだけど、それでも十分わくわくしながら読めた。意味ありげな図とか表とかグラフの類はいっさいない(URLはあるけど。こういうのわざわざ入力して見ないよなー。どっかにリンク集ないんかしらん)。あくまでいま起きていることと、これから10年以内に起きるかもしれないことをそれぞれ読者に想像してもらおうということなんだろう。
個人的におもしろかったのはこのあたり。
私は、日本のメディア企業の幹部から公演を頼まれると必ず、(…)ウィキペディア日本版のそのメディア企業の項目に何が書かれているかを、幹部皆に見てもらう。(…)大概の質問は、誰が何の資格でこれを書いているのかということと、間違いも一部にあるから信用できないじゃないか、というところに落ち着く。そこで私は、幹部たちにどこが間違っているかを聞き、講演会場からリアルタイムでこの項目に修正を入れてしまう。
なーるほど。
■しかしこの本を読んでいてあらためて思ったのは、いまの状況で痛快なのは、よりによってgoogleなんて綴りも響きもいいかげんナメた名前の会社が、「IBM(International Business Machine)」とか「Microsoft」とかいったまがりなりにも通りのいい名前の巨大な会社を振り切って世界に君臨しつつあるってとこなんだよなー、と。したがって、「あちら側」の「本当の大変化」に備えてとりあえずわれわれは、googleよりもっとナメた社名を早急に考えていく必要がありそうだ。もうなんか、発音できないとか。コンピュータしか読めないとか。音がバンド名みたいな。あるいは社名がだれでも編集可能とか。
それでいうとさすがなのは、「はてな」ってやっぱわりといい線いってるのであった。梅田望夫も言っている。
二〇〇五年三月二八日に「(株)はてな」という変な名前の会社の取締役(非常勤)になった。
変な名前なのである。「はてなは日本のグーグルである(社名のセンスが)」と言っても過言ではないのかもしれない。
■id:brazilさんが別役実「日々の暮らし方」を紹介されていて、いっかいの別役ファンとして僕もマイフェイバリットを紹介したくなったので、勝手にバトンを受け取ってみようと思った(バトン?)。
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■柴田元幸『翻訳教室』が大変におもしろい。
これ、日本語タイトルは『翻訳教室』といたってシンプルになっているけれど、表紙にある英文タイトルでは「Lectures on Literary Translation from English to Japanese」となっていて、内容は東大文学部での翻訳演習の講義内容を収録したもの。柴田元幸氏といえば東大教授にしてアメリカ現代文学の名翻訳家として絶大な影響力を持ち、またいっぽう弱腰な自身のパーソナリティを「弱腰だけには自信がある」とばかりに語る名エッセイでも知られる人物だけど、その柴田さん(あんまり「柴田先生」って感じじゃないのね)が学生といっしょに、現代作家の英語の文章を、その味わいをできるかぎり残しながらどんな日本語に訳したらいいかについて、ああでもないこうでもないと知恵を絞る模様をそのまま収録しているのがこの本だ。
僕もまだ全部読み切ってはないんだけど、とにかく刺激的。糸井重里『糸井重里の萬流コピー塾』とか枡野浩一『かんたん短歌の作り方』みたいな、お題に対する解答を達人が添削する、という本としても読めるし、すべてのレッスンについて原文と学生による試訳とその細部に関する議論、議論で添削された学生訳、さらに柴田さんの模範訳がそれぞれ載っていて、いろんな読みかたができたり勉強になったりして楽しいというのもある。でもそれよりやはりしびれるのは、柴田さんと学生の対話のなかで、作品としての英文に語られる「イメージ」というものが「きわめて厳密なもの」として扱われ、その厳密さを可能なかぎり同じ解像度の日本語に翻訳することに、どうにも不思議なほどの情熱が注がれている部分じゃないだろうか。僕なんかが読むとそれは、いわゆる文学への情熱というよりはもうちょっと自動的な、コードオプティマイズやスペックの大幅に違うハード間のプログラムコンバート(いわゆる「移植」!)へのハッカーやギークのむやみな情熱に、むしろ近しいように感じる。
ちなみに、村上春樹氏をゲスト講師に招いた講義も収録されていて、そのなかで村上氏がなぜかいきなりウェブ進化論を語っていたのでせっかくだし引用。
柴田 読者の声は聞かれますか?
村上 インターネットでウェブサイトをやっていたときには全部読みました。僕がそのときに思ったのは、一つひとつの意見は、あるいはまちがっているのかもしれないし、偏見に満ちているのかもしれないけど、全部まとまると正しいんだなと。僕が批評家の批評を読まないのはそのせいだと思う。(…)
村上 たとえばウェブサイトに批評家がメール送ってきたとしますよね。そうするとそこにメールが2000あったら2000分の1ですよね。よく書けている評論かもしれないけど2000分の1。僕がとらえるのもそういうことです。
柴田 たとえばそれが、新聞の書評なんかだと、あたかも一分の一のようにふるまってしまう。そういうことですね。
村上 そういうことです。だから僕がいつも思うのは、インターネットっていうのは本当に直接民主主義なんです。だからその分危険性もあるけれど、僕らにとってはものすごくありがたい。直接民主主義の中で作品を渡して、それが返ってくる。ものすごくうれしいです。だからインターネットっていうのは僕向けのものなんですね。(…)
■情報収集のための11の質問に答えてみました。
はい。購読数は290くらい。
いまはFEEDBRINGERを使っています。
最初はbloglinesを使ってて、その後ちょっと前まではCEEK.JP RSS READERを平行して使っていたりしましたが、とくに意味もなかったのでFEEDBRINGERに一本化。新着はあんまりまじめに見ない(とくに英語圏のは)ので、極ヒマなときはだいたいおんなじフィードを入れてあるはてなRSSでそのときの新着を読み直したりします(はてなRSSは仕様が納得いかないのでメインでは使ってないけど、わりと個別の記事は読みやすいと思う)。
アンテナを使っていますか?(y/n)
はい。登録数114(かなり減った)
あるときRSSリーダで読めるサイトははずしたので。
ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていますか?(y/n)
はい。MM/Memoをメインに。
あとはてなブックマークをバックアップ的に(del.icio.usにも同じブックマークレットで投稿してるけど、これはまったくメンテしてない)。
その他情報収集に使っているツールはなんですか?
mixiはコミュニティはあんまり入ってないけど、マイミクのみなさまの日記はいつも興味深く拝見してます。
あとwebサービスの新着RSSはわりとたくさん購読してます。これツール的ですかね。
それから自分用に、tracfeedとか、はてなブックマークの検索結果RSSとか。
他人にこれはお勧め!と思う方法は?
ブックマークレットは便利。
RSSリーダにしてもSBMにしても、ブックマークレットありきなとこがあると思うです。 ほかにもいろいろ(というほど使いこなしてはないけど)。
逆にこれはお勧めできないな、と思う方法は?
とくにないです。
情報収集で良く参照するサイトは?
はてなブックマークのホットエントリーにくらべていろんな情報が流れるのでおもしろい。 量もちょうどいいし。
自分のブログで良く言及・リンクするサイトは?
あまり人のサイトに言及してないです。
もちろん信用してたり楽しみにしているブログやサイトはたくさんありますが省略。
逆にここは参照してはいけない、と思うサイトは?
ないでしょう別に。
もちろん信用してなかったり軽蔑しているブログやサイトはたくさんありますが省略。
WEB以外で良く情報源にするものは?
雑誌とか
雑誌は大好きなのでなんでも常に読みます。立ち読みだけど。
最後にあなたが情報収集方法を知りたい人は?
情報収集の情報収集?
あんまり信用してないんですよね情報整理法とかアイデア術とか。 各人好きなようにするとよいと思います。
■なんとなく僕も入門Ajax便乗企画。 いちおう貼っときます。まだ買えてないんですが。
■このあいだと旧友との飲み会で「JavaScriptが〜」というような話をdしてたら友人のacicくん(えーと、仕事ではサーバサイドJavaとかやってるひと)に「JavaScriptなんか使うほうが間違ってるっていう認識だけど」と返されて、うーん、まだそうなのかも。まだ汚名は返上されてないかも。と思ったところ。
ところでわれをひるがえってみるに、なんで今のAjax環境にわりとすんなり適応できてるかというと、よく考えてみると過去3年くらいでJavaScriptでいろんなものを作ってみていて、しかもいろんな(いわば)変態環境をとっかえひっかえするのに慣れていたので、「JavaScript(/JScript/ActionScript/などのECMAスクリプト系)はなんでもあり」というイメージがあったからではないかと思った。
なので、JavaScriptでなにができるか/なにを作ったかを、ここらで棚おろししてみます。
JavaScript+DHTML(Ajax)
■そもそもどのへんでJavaScriptをどっぷり使いはじめたかというと、じつはprocessingを使う前にJavaScript+DHTMLでプログラミングの授業をやってみた年があって(HTMLはある程度理解できるから、そのステップアップとしてなじみやすいんでは? という意図でした。結果的には挫折の道でしたが…)、そのへんじゃないかな。つまり3年前ですね。Ajaxより3年早かった! といえよう。早すぎた。当時はまだMacOS9の環境だったので悪名高いMacIEでいろいろしなきゃいけなくて、大変でした。
あとこの授業で使う画像素材をPhotoShopで加工するときに、アクションで無理なとこをJavaScriptでできるなーとかillustratorでも使えるんだーとか、そんなこともしてました。
BulletSurf/StickyWeb
■で、その授業のあとの夏休みで勢いでgenekistiScope(後述)のスクリプトを作って、そのあと作ったのがBulletSurf/StickyWebかな。「弾幕を避けながらアイテムをとりにいく感覚でポインタの動きを妨害するブラウザがあるといいんじゃないかなー」みたいなぼんやりしたアイデアをまんま作ってみた。内容的にはABAさんのBulletMLアプレットソース(.java)からのポーティングですな。あほなことしたもんだ。ちなみに当時よくわかってなくてBulletMLのxmlパースを自前(というかxparseっていうライブラリ)でやってたんだけど、いま考えるとMSXMLとかでふつうにDOMを操作すりゃよかったのかな。
当時得た教訓としては
- イベントの互換性が超めんどい
- DHTMLの座標操作が超めんどい
- ブラウザによって動作速度が天と地ほど違う
- でも実は、かなりなんでもできるかも
といったところだった(なので最近のJavaScriptライブラリは泣くほど便利でうれしいので、積極的に使っている。もう戻れない)。
当時はこの辺を参考にしていた。
kaiwarecotonoha / Calki ver.002 / Piccy
このへんは省略。
Photoshop / illustrator スクリプト
■あんまりやってるひとを(webで)見かけませんが、PhotoshopやillustratorなどAdobeのソフトはJavaScriptで制御できます。APIちゃんとそろってるし、デバッガもあるし、わりと使いでがあります。
Photoshopスクリプト
たとえばゲームなんかで使うキャラクタの回転パターンをPhotoshopで作るとして、レイヤーをコピーして単位角度で回転…というアクションを作って何回も実行すると画像が劣化して大変なことになったりします。なのでこれをするためのMakeRotImageというスクリプトを作ったりしました。
あとPhotoshopCS以前はレイヤーを別々にファイルに書き出すことができなかったんで、こういうふうに作った画像を保存するためのスクリプト(savaeEachLayers.js)なども作りました。それはまあいいか公開は。
illustratorスクリプト
illustratorスクリプトは、オープンキャンパスのワークショップで使った驚き盤のテンプレートを書くのを作ったりしましたな。illustratorのスクリプトは描画はほぼすべて制御できるのでかなり楽しいですよ。
GA的驚き盤作成スクリプト GenekistiScope(aiスクリプト版)
■で、驚き盤を作ってるうちに、自分は絵がかけないからなんか自動生成できないかなーと思って「ランダムに初期生成した驚き盤のパターンを選択して、Genetic Algorithmで適応進化させるスクリプト」というアイデアを考えて、illustratorのスクリプトを作った。これが2003年の夏。
レイヤーにパターンを複数生成して、illustratorのレイヤーの表示/非表示をスクリプトで判定して次世代パターンの適応に用いるという、なんというかillustratorのインターフェイスのハック的な利用がけっこう気に入ってました。おんなじように「export flash」という文字のレイヤーを表示してからスクリプトを起動すると、illustartorのSWFエクスポートを使って驚き盤がアニメーションするSWFが生成できたりもします。
Flash ActionScript
■で、順番的にいうと、JavaScriptをしこたま使ったあとにFlashのActionScriptを触りました。うわイベント設定とか座標指定が楽〜、でもタイムラインとシンボルがうぜー、あとスクリプトの動作遅くない? みたいな。
GA的驚き盤作成ツール GenekistiScope(flash版)
とりあえずillustratorのスクリプトなんかだれも使ってくれないので(プログラマーはillustrator持ってないし、デザイナーはスクリプトなんかに興味を持たないので)、flashに移植してみたのがこれ。かなりらくちんに移植できた覚えがあります。Flashがベジェ曲線を持ってなかったから自前で書いたりしたのがめんどかったくらいだったような。
flashはほかにもいろいろつくってますが省略。
WindowsScriptingHost(WSH)
Windowsは組み込みのJScriptでファイル操作したりCOMを利用してアプリケーションを制御できたりして、これはこれで使いでがあります。こういうのもけっこうやってる。
iTunesのCOMインターフェイスは充実しててSDKも公開されてるので、この辺をさわり始めたんじゃなかったかな。ようするにデジオ関係と、recommuni関係。
Amazonからアートワークを追加.js
調べたらADODB.Streamでwebでとってきたデータをローカルにファイル保存したりもできるってことで、アートワーク追加とかも作りました。
自分で作ったのはこの辺かな。けっきょくJavaScriptの開発であんまりテキストは買ってなくて、基本的にはwebのリソースを参考にしながら書いたという感じですね。だからだめなんだけど。
まだやってないけど – GraceMonkey / XUL / Konfabulator(Dashboard,GoogleDesktop)
■このへんもさわってみたいなーと思ってるんですが、上を見てもらえばわかるとおり、「これは誰もやってないだろう、しかも誰もやらないだろう」というアイデアが思いつかないと動かないので、まあそういうのが思いつけばーという感じですな。そのうち。
ほかにもあったら教えてくだされ。こう並べてみて思うのは、インターフェイスにちかいレイヤーを制御するのにJavaScriptは使われがちなんですな。
萌ディタ
■あとこれだな。JavaScriptで制御したりプラグインを作れるエディタ。こないだma.laさんが「最強。カーソル位置制御とかがバグっててエディタとしてはどうかと思うけど」っていってたよ。でもアルファギークがアルファなエディタを使わないでどうするという気もするので、むしろ使っていきたい! 僕はやだけど。
■ご多分にもれず、Tropy(とろぴぃ)のことを考えている。Tropyとは、結城浩さんがつくり、つい先日公開されていたソフトウェアだ。サーバ負荷の問題があり、いまは稼動していない。
現在「お休み」しているTropyのことを記憶と想像だけで語るのはむずかしくあぶなっかしいのだが、それをしてみたい。たぶんおぼつかないので、間違いのないところは結城さん自身による解説を読んでもらったほうがいいだろう。
Tropyには「どこにも中心はない」、と結城さんが解説しているとおり、http://www.hyuki.com/tropy/ を開いたとき表示されるページは、毎回ランダムに決定される。だから、Tropyを見た多くの人が、じっさいに最初にどんなページを見たかはわからない。にもかかわらずそれなりに確信があるのだけど、興味をもってTropyのページへ移動した人が、最初にTropyのページを見たとき、みんな「はっとした」んではないだろうか。Tropyのページは、いままで自分がみてきたいわゆるwebページの「なににも似ていない」、と感じただろうと想像する。それはおそらく結城さんが、「なににも似ていない」ようにTropyを設計していたからだ。
しかし、その「なににも似ていない」Tropyが、初対面の仕事相手のように緊張を誘うものだったかというと、そうでもなかったはずだ。むしろ逆だろう。ここはやや大胆に言ってみようと思うけども、Tropyのページを見たとき、そのページに書かれたテキストを、「どこかのだれかが実際につぶやいているところ」をイメージしたんじゃなかっただろうか。Tropyのページには、どれにもちょうど「どこかのだれかの実際のつぶやき」分くらいの真実が含まれていたような気がする。その「つぶやき」を、ほかならぬ「どこかのだれかの実際のつぶやき」を聞くために、多くの人は「Random」のリンクを何度もクリックしてみたんだと僕は思う。そして、おそらくそれも、結城さんがTropyをそのように設計していたから、そうだったのだ。
Tropyを見て、べつに最初からこういうことを考えていたわけではない。「Tropyが何をしていたのか」を考えるようになったのは、すでにたくさん開発されているTropyクローンをひととおり見てからだ。それらは、同機能を実現しているという意味では間違いなくTropyクローンだった。のだが、それらの多くは、Tropyよりも、「Tropy以外の別のもの」に似すぎているように感じられたのだった。どういうことだ? と考えはじめたのは、それからだ。じっさいのところ、まだよくはわからない。
結城浩さんご自身によるTropy設計判断というメモが公開されていて、Tropyのいろいろな要素を、なぜそうしたのかがわかるようになっている。僭越ながらコメントをつけさせてもらうと、これらの判断そのものは、プログラムやデザインをする人なら、特にwebアプリケーションの開発者やwebデザイナーなら、だれでもやっていることであり、驚くところではないと思う。驚くべきはそこではなくて、結城さん自身が語っているとおり、開発の時点ではTropy(開発されていた時点では、まだ名前のついていなかった「それ」)が、いったいどういうものなのか結城さん自身にもわかっていなかったにもかかわらず、そうした自覚的な判断をしていたというところではないかな。
Tropyでは、書かれたページの全貌や関係を、できるだけ”把握させない”ように工夫されています。できるだけランダムに、できるだけバラバラに。
このような、Webの慣習に逆行しているようなページに、いったいどんな意味があるのでしょうか。
結城自身にも、まだよくわかっていません。
でも、あなたには、わかるかも。
たぶん結城さんは、そのページをみて、それがまだ「なににも似ていない」ことを目指して、それを見た人が「はっとする」ところを想像しながら、Tropyと名づけられるそれを作っていたのではないかと思うのだった。
■私見ですが、現時点で本家にもっとも近いTropyクローン「Fropy」をどうぞ。
■言うまでもない、のかどうか。この本、つまり「1円も儲からずにTシャツを作る方法—オンラインTシャツショップGbMの伝説」について語る前に、やはりオンラインTシャツショップGbMについて解説しなければならないのかもしれない。
GbMとは、Tシャツ業界に別段縁があったわけでもない漫画家で映像作家のタナカカツキ氏と、編集者でライターでタナカカツキ氏の知人であったコグこと胡口桂子氏が、1999年に突如立ち上げたオンラインTシャツショップであり、原則そのサイトでしか販売されていないオリジナルTシャツのレーベルである。「GbM」とは「Gin bako Money(ギンバコマネー)」を意味し、そのロゴがTシャツのボディにもタグにもでかでかと誇らしげにプリントされているが、その由来はここには書かない。くだらないので。GbMが本業でもないこの7年間の活動でラインナップしたTシャツは実に74種類、そのすべてにタナカカツキの描き下ろしイラストをフィーチャーし、そのすべてに通常では考えられない特殊な加工や多版プリントや刺繍をほどこし、そのすべてに高価な特色後染を含む節操のないほど多彩なボディカラーを配し、そのすべてにわざわざ毎シーズン違うオリジナルタグをぬい込み、そのすべてにいわゆる「こだわりのアーティストTシャツ」と呼ぶにはあまりにも控えめな価格を設定し、さして宣伝も営業もせず、自宅の部屋に在庫のダンボールを積み上げ、オーダーに合わせてTシャツをたたみ、フルカラーのカタログをバレンで折り込み、頼まれてもいないのにノベルティのステッカーを封入し、年が変われば年賀ダイレクトメールを郵送し、なおかつ1円も儲からなかった。それがオンラインTシャツショップGbMだ。そしてこの本、つまり「1円も儲からずにTシャツを作る方法—オンラインTシャツショップGbMの伝説」は、そんなGbMの7年間の活動を追ったネットビジネス書…、ではない。そうではない。ここからはその話だ。
僕の記憶が確かならば、初期のころGbMは「攻め型」のオンラインTシャツショップを自称していたはずだ。GbMは「攻め」なのだと彼らは言っていた。実際のところ僕はGbMの活動をそれほど知っているわけではないんだけども(Tシャツもあんま買ってないし)、この本を読んでGbMはいったい何をどう「攻め」ていたのかが、なんとなくわかってきた。こういうことだ。GbMはオンラインTシャツショップを自称し、事実そうであったにもかかわらず、「まるでTシャツショップではないのかのように」活動してきたのであった。それが彼らの言う「攻め」なわけだ。「1円も儲からない」とは、TシャツショップであるGbMが「まるでTシャツショップではないかのように」活動するための方法のひとつだ。
さて。この本でコレクションを一覧すればわかるとおり、GbMのつくろうとしているTシャツとは、ひとことで言えば「素の」Tシャツ、のようなものだ。なにかばっちりデザインされたカッコイイものとか、見る前からかわいいようなものは目指されていない。むしろ、古着屋のワゴンの底のほうに1枚だけあるような、どこのだれが作ったんだかわからないような、デザインの意図が読めない、でもどこか憎めない、自分がはじめて見つけた感じのするおもしろさを持った、そういったTシャツが目指されている。おそらくそんなオリジナルTシャツをつくろうとしているメーカーは世界で探してもGbMしかいないだろう。だって本来それは、オリジナルTシャツのデザインによって目指せるものではないからだ。GbMが「まるでTシャツショップではないかのように」活動する姿勢は、ここにもあらわれている。
そしてGbMがさらに変わっていることには、Tシャツを「デザイン」しないかわりに、そのTシャツの「ストーリー」を用意するのである。もちろんTシャツに印刷されたキャラクターに設定があるとか、そういうことではない。言ってみればGbMは、自分たちが作ったオリジナルTシャツを古着屋のワゴンに放り込んで、それを底から引っ張り出すわけだ。デザインの意図が読めない、でもどこか憎めない、自分がはじめて見つけた感じのするおもしろさを持った、そういったTシャツを発見したときについぼんやり思い巡らすようなエピソードやストーリーを、GbMはTシャツの「解説」として用意する。この本、つまり「1円も儲からずにTシャツを作る方法—オンラインTシャツショップGbMの伝説」にコグ氏は、74種類すべてのTシャツについてそれを書き下ろしている。この本の内容の大部分をしめる膨大な文章は、GbMのTシャツそのものとは特に関係のない、こういってよければとりとめのない、しかし驚きに満ちわけもなく輝く、自分がはじめて見つけた感じのするおもしろさを持った、夢物語のようなものだ。Tシャツショップの本なのに! 変わっている! と言わざるをえないが、GbMとは、そしてGbMの考えるTシャツとは、つまりそういうものなのだということだろう。
したがって、お分かりと思うが、つまりこの本「1円も儲からずにTシャツを作る方法—オンラインTシャツショップGbMの伝説」は、GbMの7年間の活動を追ったネットビジネス書…、ではなく、「まるでTシャツショップではないかのように」活動を続けてきたオンラインTシャツショップGbMの、最新の活動である。GbMは、だれも目指してないような「素の」Tシャツを、ふつうよりずっと丹念な手間をかけながら、7年間も作り続け、さらにはそれを誰かが見つけたときの74通りの気持ちまでも文章に綴り、いぜん1円も儲からないまま、なぜかそれを本にした。それがGbMというTシャツショップの「攻め」なのだと、彼らは言っている。
GbMの伝説は、おそらくまだ続くのだろう。
■ギム・ドワイヤー&ケヴィン・フリン「9.11 生死を分けた102分」を読んだ。ほんとうにすごい本だった。
■言うまでもないが、この本の言う「102分」というのは、2001年9月11日のワールドトレードセンター北タワーに、ハイジャックされたアメリカン航空11便が激突した瞬間から、2棟あったタワーが両方とも完全に倒壊するまでの時間を意味する。この本は、352名を数えるという生存者、犠牲者の家族や知人、および救助隊員らへのインタビューと交信記録をもとに、ワールドトレードセンターのその「102分」すべての瞬間において、何が起き、人々は何を判断し、どう行動したかを克明に報告しようとするものだ。2機の航空機がビルに突入し、爆発し、ビルに火災が起き、やがて倒壊した。死傷者や被害者の脱出のために現場は混乱し、救助隊がそれを助けた。そこまではすでに誰でも知っている。そうではなく、ビルの内部にいたある人物が、建物を襲った衝撃が93年のテロのような地下の爆弾ではなく、航空機の突入によるものだと知ったのはその瞬間から何分後だったのか。南タワーが倒壊している瞬間、北タワーで避難や救助にあたる人々のうちそれに気付いていたのは何人いたのか。誰が誰とともに行動し、誰が誰を助け、励ましたのか。何人がどうやって倒壊寸前のビルから脱出し、何人の救助隊員が誰と誰を救助したのか。そしてどれだけの被害者と救助隊員が、どういう状況で、倒壊に巻き込まれたのか。そういうことをこの本は明らかにしようとしている(もちろん、本に登場するのは被害者のごくごく一部でしかないのだが)。その作業のためにこの本の執筆には3年間が必要だったとされている。
■世界一のフロア数を持っていた2棟のビルのほとんどの階での出来事と、そこにいた被害者と救助隊員の状況と判断と明らかな限りの交信記録とを、 102分の時間に沿って並列させるという、とてつもない構成をこの本はとっている。事故調査委員会の報告書であれば、こんな複雑な構成は不必要だっただろう。けどおそらく著者らは、この把握が困難なほどの同時性こそが、当時のワールドトレードセンターで進行していた事態なのだと確信しているはずだ。混乱と絶望と恐怖、すれ違う報告と伝わらない重大なメッセージ、統率を失った組織の無力と個人の判断の力。こうしたすべてが9.11のワールドトレードセンターに交錯し、人々はそのすべてを経験した。その状況は救助に向かっていた警察官や消防隊員についても同様であり、彼らもある種の被害者であったというのがこの本の基調だ。倒壊寸前のビルの上層部へと、鎮火が不可能なことを知りつつ消火用の重装備をかついだまま、非常階段を使って一段づつ上っていかざるを得なかった消防隊員たちは、その時点で報告や指令を受ける本部とのチャンネルをほぼ完全に失っていたのだと著者らは指摘する。そのために比較的低層にいた隊員たちが、倒壊するビルから脱出できず犠牲になったのだと。9.11の悲劇は「911(アメリカのエマージェンシーコールナンバーだ)」の悲劇でもあった、というのがこの本の最終的な結論のひとつだろう。
■そしてまた、この本はワールドトレードセンターの物語でもある。テロリストに「資本主義の象徴」と呼ばれたこのビルは事実、経済効率のために避難路の確保や耐火構造の検証を極限まで、致命的なまでに軽視していた。40年前に建築法を改正してまで推進されたこのビルの建設は、そこに働く人々の生活を変え栄光のランドマークとしてマンハッタンの風景になっていた一方で、ビル中央に集中したたった3つの非常階段が同時に寸断された場合、上層居住者はどのように脱出したらいいか、といった想定をまったく考慮しないまま、「ボーイング707が激突しても倒れない」と謳っていたという。航空機が突入した階層の上にいた1500名を越す被害者は逃げ場を失い、地獄のような煙と熱に苛まれながら、崩れる床や天井に沈んだ。彼ら彼女らはその直前まで電話やメールで家族や同僚と連絡を取りあっており、その悲痛な声が記録に残されている。この本では、倒れるはずがなかったワールドトレードセンターの2つのタワーがなす術もなく倒壊する姿を何度も、タイタニック号の沈没に例える。二十世紀最大の悲劇は、二十一世紀最初の悲劇の教訓になり得なかったのかと。そしてこの悲劇の教訓こそは、後世に伝えるべきであると。
■ちなみにamazonのレビューに「訳が直訳に過ぎる」という評があるけど、僕はそうは思わなかった。入り組んだ構成を日本語の呼吸に組みなおした良質な訳だと思う。執拗なほどの描写の連続を直訳的だと判断したのかもしれないけど、これは原文もこうだったろうと思える。著者たちはすでに存在しないワールドトレードセンターとそこにいた犠牲者たちの102分を、1センテンスでも多く書き尽くそうとしているのだ。そうなるに決まっているではないか。
■シスターコントラスト!(AcaciaSoft) ストーリー概要より
ある日突然、パラレルワールドに飛ばされた主人公。
一見何の変わりもない世界でただひとつ違っていたのは、
その世界では主人公に4人の妹がいたということ。
主人公を兄と慕う妹たちとひとつ屋根の下で、
唐突にはじまった新しい生活。
つぎつぎと襲いかかる、ちょっとHなハプニングの嵐。
以前より魅力的になった兄(?)にドキドキの妹たち……。
■「妹みたいなもの」、について考えてみたい。
■たとえば、となりの家に住む年下の幼なじみだとか、歳の近い従妹だとか、母親の大学時代の友人の娘で、毎日のように親に連れられてどちらかの家に行っては、話に夢中の親たちを尻目に二人で遊んでいたんだよ。…どちらかというと、俺の家にあいつが遊びに来ることが多かったかもしれないかな…とか、そういった関係によって、その年下の少女との間に傍目には不思議な親密さが生まれていたりするとき、その親密さを暗にいぶかしむような目から身をかわすように、「だからその、」と彼は急いで言葉を継ぐのである。「あいつは俺の妹みたいなものなんだよね」。
■「妹みたいなもの」。そのあわてて言い繕った印象のとおり、それがはたして正しく「妹」だったためしは、現在のところ報告されていない。当たり前のようだが、「妹みたいなもの」は「妹」ではないのだ。しかしでは、だからといって、「妹みたいなもの」というのが、彼の意に反した言いかたかといえば、おそらくそうでもないだろう。言ってみれば、その彼女との間には、単なる血縁関係である「妹」よりも、もっと複雑で微妙な関係があるべきであると彼は考えているのであり、そのニュアンスが、「妹みたいなもの」という言いかたによって探られている。彼は、彼女との複雑で微妙な関係を、複雑で微妙なまま自らに課そうとするのであり、つまり彼は、「妹みたいなもの」を、「妹みたいなもの」であるがゆえに、愛するのである。
■さて、秋葉原で「お兄ちゃ〜ん!」とでも叫べば、聞き耳を立てた動物たちが振り返る、そんな妹萌え全盛の世の中である。しかしこの「妹」というのは、血縁という無根拠で身もフタもない関係で先天的に決定されるものであり、しかもその関係が進行も発展もしないという、きわめて作劇が困難な題材であり、そのような不自由な属性に多くの動物が無条件で反応するというのは、いささか考えにくいと言えるのではないだろうか。動物たちは本当に「妹」に萌えているのか? そうではない。私の観察では、動物たちは「妹みたいなもの」に萌えているのだ。
■冒頭に挙げたシスターコントラスト!ストーリー概略に注目していただきたい。突然のパラレルワールドへのスリップにより主人公に4人の妹ができる、というのはいかにもご都合主義的なストーリーのように思えるのだが、しかしこの設定によって、このゲームに登場する「妹」たちが、「妹みたいなもの」たちへと、巧妙にすりかえられていることがお分かりだろうか。もし動物たちが単純に「妹」に萌えるのだとしたら、ゲームのストーリーに単に主人公の妹たちを登場させればいいのであって、あえて強引なパラレルワールドを設定する必要はないのだ。動物たちが反応し、萌えるのは、そうした身もフタもない「妹」ではない。彼自身が、彼女が本当に「妹」なのではないか、と錯覚してしまえるような、「妹みたいなもの」がそこには必要なのであり、そのためには、たとえばパラレルワールドへのスリップのような、ある種のプロセスが必要になるである。
■「妹」を偽装した「妹みたいなもの」たち。そして「妹」に萌えているようでいてじっさいには「妹みたいなもの」に萌える動物たち。単純に見える動物の世界にも、動物たちの論理がひそかに存在し、ジャングルのようなデータベースを織り成しているのである。