ナムジュン・パイク 没後10年展『2020年笑っているのは誰 ?+?=??』を見た

watari-um - exhibition ナムジュン・パイク、没後10年、2020年笑っているのは誰


休日にフリータイムをもらったので最終日かけこみで見てきた。ヨーゼフ・ボイス、ジョージ・マチューナスとの出会いの逸話(パイクがバイオリンを破壊する演奏をするのをバイオリン奏者が止めようとして、そこにマニューナスが『演奏を妨害するな!』と一喝したという)がおもしろかったな。

いまブラウン管のテレビの映像観ると(映像ソース自体が一般的なビデオ信号よりも出力が大きかったりしているのかもしれないが)やたらとぎらぎらして生き物としての映像が脈を打っているようであらためてすごい魅力的だなと思った。いま再現するの故障も多そうだし大変そうだけど。

テレビ(のガワ)をキャンバスにペインティングしてる作品は昨今の液晶モニタにペインティングする作品を連想した。


東京都立近代美術館『トーマス・ルフ展』を見た

Thomas Ruff


めずらしく休日にひとりの時間をもらったのでゆっくり見てきた。メディアとしての――したがって、他のメディア(写真集やWebサイト)で確認しても意味をなさない――「写真家」の「写真」のあり方をいっきに見せられる展示(「写真」のあり方そのもののタイポロジー?)でシンプルにおもしろく見た。

会場内は撮影可になってたんだけどけっきょくなにも撮らず。あとで記録として美術館のビルボードを撮っておこうとおもったらポスターイメージの「ポートレイト」がカメラに(当然ながら)顔認識されたのが面白くてファインダーをスマホカメラで撮ったんだけど、会場でもこれやればよかったなと思った。まあでも、こういうの1枚だけとってもだめだっていう話ですよね。

今回時間あったのでコレクション展も見られた。「奈良美智がえらぶMOMATコレクション」が新鮮でよかった。


『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-』をクリアした

Everybody’s Gone to the Rapture -幸福な消失- | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイト

これをプレイしてみたくてPS4買ったといっても過言ではない『Everybody’s Gone to the Rapture』をようやくクリアした。

最後まで終えてほんとうに素晴らしいと思ったし、いまは吹き替えに切り替えて2回めのプレイを始めているほどだけど、同時になにが素晴らしかったのか自分にとっても不思議な感覚もある。ストーリーや演出に特筆すべきことがあるわけではなく、ゲームプレイとしてもただ何者でもない視点としてシーンを移動できるにすぎない。間違いないのは『Everybody’s Gone to the Rapture』の世界が美術的にも状況的にも「完成」していることで、完成した世界を荘厳な音楽や謎めいたモノローグや対話のサンプルボイスを耳にしながら移動することが存外に楽しかったということかなと。

ただ完全にナビゲーションのない形で投げ出されたものなら早晩やめてしまったと思うので、絶妙な形で「この世界の見方」を示すナビゲーションの仕掛け(このゲームでいうと各地に置かれたスイッチの入るラジオ・電話や、プレイヤーを次のシーンに向かわせる光球など)が秀逸だったということかもしれない。


ICC『オープンスペース 2016』を観た

ICC | オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス


今年はわりと早く帰省を切り上げて帰ってきたので(渋谷もお盆は人通りが少ないのが意外だった)、もう1日くらい休むことにしたんだけど、月曜日だと定休日だったので月曜は仕事して火曜にICCに行った。

毎年いちおう見に行くんだけど子連れであんまり細かく見れないまま出てしまうようなことが多いなか、ラインナップを見て今年はちゃんと一人で見に行こうと思っていた。今年のは作家のテーマを見せるタイプの作品よりは日常的な感覚とテクノロジーの接点を操作して鑑賞者の主観に介入しようとするような、正式な意味での「メディアアート」が集められていてどの作品も面白く体験した。日本人の作家がほとんどなのは10年目の節目に合わせて満を持してという感じなのか、それともたまたまなのかな。

なかでも谷口暁彦さんの『私のようなもの/見ることについて』は、作品を構成する映像は動画やライブパフォーマンスで見ていたものでその部分の衝撃を個人的には受けなかったものの(ここで初体験の人はかなり衝撃的な体験になるんじゃないだろうか)、コントローラを用意して体験型の作品にすることで映像の意味や扱っているテーマの鑑賞者への受け取られ方がかなり変わるものになっているように思った。このセット(谷口さんの3Dモデルアバターが仮想空間に配置された文章を巡回して見せていくもの)のシリーズは「essay」と呼ばれているようなんだけど、これまでそれこそエッセイのような線的な情報としてしか提供されていなかったひとの断片的な記憶や思索が、フリーローミングな空間として提供されることの面白さや可能性を初めて味わった気がした。まあ空間内にあるのは実際には記憶や思索そのものじゃないんだけど、「断片さ」が妙に生々しさをもっているので想像力が刺激されるところがあるように思う。

仮想空間を自由に動けるというだけでなく、ゲームでいうところのNPCのような役割で同じ仮想世界を動くアバターがいて(これは作品のナレーションと連動するおそらく谷口さん自身の操作のリプレイ)、いちおう「順路」のあるこの仮想空間の自然なナビゲーションになっており、かつ、作品の一部であるもう一つのプロジェクション画面はそのNPCアバターの主観映像であり、アバターによって「見られる」主体としての鑑賞者としての自分としての谷口さんの3Dスキャンアバターも作品の一部として鑑賞できる、という作品の構成としての完成度と複雑さも素晴らしかった。

もうひとつ素晴らしかったのが研究開発コーナーとして作品と併設された『明治大学 渡邊恵太研究室 「インタラクションの現象学 人間の輪郭、世界体験の変容」』で、これも渡邊さんの研究については以前からよく知っているし『融けるデザイン』も読んだので情報としてはかなり既知だったものの、展示の完成度や説得力が素晴らしく、改めて感心できた。とくによかったのが研究内容全体(かなり長い)を伝えるいわゆるプレゼンスライドが見られるモニタ設備なんだけど、モニタが3連になっていて最新3枚のスライドがFIFOで流れていく仕掛けになっているのね。体験するとわかるけど、これ自体がスライドをめくって研究内容を知るという体験の自己帰属感をすごく高める仕掛けになっていて感動した。電子書籍にも必要なのは3連モニタのFIFO表示なのかもしれない。


Hiroshi Kondo『The Others』


これすばらしかった。高速度撮影した渋谷のスクランブル交差点の人の波をスリットスキャン的な手法で歪めてるんだけど、主観的な時間に焦点が合わせられるビデオカメラ映像のよう。


アスキー総研(編)『ゲームってなんでおもしろい?』を読んだ

ゲームってなんでおもしろい?

KADOKAWA (2016-03-09)
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「GAME ON」展の図録的な扱いの本なのでもっと資料価値重視の本かと思っていたけどわりと読み応えのある内容で、「ゲームってなんでおもしろい?」というより「ゲームをおもしろく感じることは人間にとってどういう意味をもつのか」というテーマに多角的にアプローチする本なんだなと思えておもしろかった。「GAME ON」の展示ではゲームの未来として象徴的に扱われていたのはPSVRだったけど、もうひとつの未来は「プレイヤーをおもしろくさせ続けるAIとしてのゲーム」なんだろうな。

ある人が『テトリス』の版権をとりに、ロシア(当時のソ連)に行き、テトリスの作者に「すごく面白いゲームだ」と言ったら怒られたそうなんです。「あれはゲームじゃない、科学なんだ」と。どういう科学かというと、人間はささいなギミックを連続的にあたえることで、いつまでも作業を続けることができる。そのことを実証するための実験だった。どれだけ単純作業を我慢できるのかという目的でテトリスが作られていた、という。

『ゲームってなんでおもしろい?」 - 川上量生インタビュー

似たようなところでは、ビットコインがありますが、あれは(ある種の)ゲームなんだけど、ちょっと違うんですよ。いまは発掘できませんが、努力すれば発掘できてゲーム臭くなかったのが良くて。”意味のない壁”がちょっと高めに設定されていて、ちょっと頑張れば超えられるのが、人類のハマるゲームだと思うんです。安易にハマるゲームほど、資本主義のサブセットみたいになっていて、それって現象として面白いなと思いますね。

『ゲームってなんでおもしろい?」 - 落合陽一×真鍋大度 メディアアーティスト対談(落合陽一発言)

あ、あともう一つゲームの未来あって、本のなかで最新のゲームとして一番言及されているのが『ねこあつめ』だっていう。生かさず殺さず楽しませてくれるAIが猫の姿してるのがゲームの未来っぽい。


水野 勝仁ほか『UI GRAPHICS ―世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン』を読んだ

UI GRAPHICS ―世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン
水野 勝仁 深津 貴之 渡邊 恵太 菅 俊一 緒方 壽人 iA 鹿野 護 森田 考陽
ビー・エヌ・エヌ新社 (2015-12-17)
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BNNお得意のデザインスタイルブックに、スマートフォンの全世界的な普及とともにドラスティックな変化を遂げているインターフェイスデザインの潮流を思想面から補う論考が添えられた、フレッシュさが際立つかっこいい本だった。HOW TOじゃなくて、いままさに起きている変化を伝えようとしている、本というよりは雑誌の特集のような内容(雑誌『MASSAGE』の編集者庄野祐輔が編集されているからかな)。こういう本に中学とか高校生のころに触れるとやられてしまうんじゃないかな。


奥田栄希『悲しいゲーム展』を観た

Takashi Somemiya Gallery

いわゆるファミコンゲームそのものの意匠やインターフェイスを提供しながら(おそらくフリーの開発環境で実際にファミコンで動作するROMを作成して動作させているのだと思う)、実際にコントローラでプレイしてみると通常のゲームに期待される展開やゴールが提供されずいつまでもプレイがつづき、ひたすら宙吊り感に襲われるという「ゲーム」がいくつか展示されていた。この作品そのものはその状況になるように意図的にプログラムされたものではあるんだけど、ゲームのなかでは成立している奇妙な法則性(画面端に消えたキャラクターは反対側の端から現れるとか)は曲げていないところが重要で(「ゴールゲーム」はちょっと微妙ではあるんだけど)、これら「ゲーム」の「悲しさ」は、「悲しくない」ほうのゲームにも含まれている。ファミコンの頃はROMカセットの接触不良やらバグやらで市販ゲームでも「悲しいゲーム」状態になることがわりとよくあったけど、氏のグリッチの作品と同様に、そうした「正常」なデータやプログラムがわずかな狂いによって普段は隠された深淵を覗かせる感覚が参照されているのだと思う。

だいぶ前ガビンさんがやろうとしてた展示で、「既存のシューティングゲームに見えるんだけど、弾が撃てなくしてある」ゲームがプレイできるゲーム展というのがあって、それなどを思い出した(たぶんこの企画が発展して六本木クロッシング2007の「Laxical Shooter Ver. 0.01」になったんだと思う)。

あと関係ないけどこの展示見た次の日にたまたま3DSの「電波人間のRPG FREE!」をプレイしたら、最近珍しい感じのグリッチ画面になった。3DSのカメラの映像を背景として表示する仕様なんだけど、プレイした3DSのカメラが壊れているのでこうなったみたい。


『ICCキッズ・プログラム2015 しくみのひみつ アイデアのかたち』を観た

ICC ONLINE | ICC キッズ・プログラム 2015 しくみのひみつ アイデアのかたち

ICCのキッズプログラムは図らずも毎年開催直後に駆けつけている気がする。空いていていい(とか言っているとICC自体がなくなってしまいそうであれですが)。

キッズプログラムなのでというのもあるんだろうけど、いわゆるチームラボ的なデジタルアートの魔法的な作品とはあえて対極をいくような、ローテクでチープな科学館の素朴な体験展示のような作品が並んでいて好感度が高かった。子供的にはそこまではまる感じではなかったのかあまり長居できなかったけど。

まだ観てなかったオープンスペース2015の作品もおもしろく観た。美術館で作品を見るのが久々だったな。


谷口暁彦 個展『滲み出る板』を見た

谷口暁彦 個展「滲み出る板」 | Akihiko Taniguchi solo show “board ooze out”

会場のみどり荘が仕事場(松本弦人さんの事務所)のごく近くだったので鍵っ子といっしょに昼休みに歩いて行った。みどり荘自体がなんか味のある古いビルでおもしろかったのだけど、そういえば前の個展「思い過ごすものたち」の会場もすごい変なところで、夜ほんとうにここでいいのか不安を感じながら潰れた居酒屋のようなギャラリーに侵入したのを思い出した。

展示はここのところ谷口さんが使うモチーフ(食べ物や食器の高精細画像、フォトリアリスティックな3D空間と3Dスキャンされたスケールの狂った3Dモデル、天から吊られたiPadに映るカーテンのCG映像とそのiPadを揺らす扇風機)が混ざったような作品群と、中央に置かれた「滲み出る板」らしき作品。30度づつくらい往復回転している板の片面に作られた模型を撮したカメラの映像をもう片方のなにもない面にプロジェクターで映してあり、正直これだけ見るとどういう作品だといっていいのかわからない感じだったけど、コンピューターなしで(他の作品で使っている)CGみたいなものを作ろうとしているのかなとちょっと思った。