『KNS目隠しラジオ』がいい

KNS目隠しラジオ|note


最近GbMのTシャツデザイン作業での過活動を経て「モ作」にアップグレードしたらしい鍵っ子が「今度デジオやりますよ」と言ってて、それがヌケメさんシシヤマザキさんとの3人番組『KNS目隠しラジオ』だったんだけど、それをようやく聞いたところすごい面白くて一気に全部聞いてしまった。

これ聞くまでわかってなかったんだけど(よく見るとnoteの最初に書いてあるけど)、「目隠しラジオ」というタイトルは単なるおどけたネーミングじゃなくて「パーソナリティ3名がそれぞれアイマスクで目隠しをした状態でトークする」という番組コンセプトをそのまま表したもので、番組第1回はその「目隠しをしたままトークをするという体験」についてのトークになっている。

KNS-2-1 初めての目隠し!プレ雑談|KNS目隠しラジオ|note

1回分のトーク(みんな目隠ししてるからなんだろうけど、10分ごとにタイマーを鳴らすようにして収録を区切っていくという番組のルールになっているみたい)全編、三人が三人とも目隠しトークという体験の予想以上のおぼつかなさにひたすら戸惑っているだけなんだけど、何故か番組として成立してるうえ圧倒的におもしろく、いきなりつかまれてしまった。ほかの回を聞いても思うけどお三方の相性のよさとおもしろいことに対する感度の高さ、そして共通する品の良さのようなものが出てるとこ(目隠しの効果によるものかは不明だけど)がこの番組のよさなんだろうと思う。続きも期待しています。


メルマガ『サイエンス・メール』の鳴海拓志さんインタビューシリーズがおもしろい


サイエンスライターの森山和道さんが発行している老舗メルマガ『サイエンス・メール』は、森山さんが注目するさまざまな分野の研究者を直接取材したロングインタビューをほぼノーカットで数ヶ月にかけて配信するというメディア。僕はまだ学生のころに森山さんのウェブサイトを知って『サイエンス・メール』の前身である無料メルマガ「NetScience Interview Mail Home」を購読して以来(有料メルマガになってからはしばらく購読していなかった時期もありますが)、なかなか他のところでは得られない最新の基礎研究の世界の話や研究者がどんなことを感じながら研究しているのかを知ることができる貴重な読み物として楽しんでいる。

で、今回はその『サイエンス・メール』で2月から連続配信されている(まだ継続中)鳴海拓志さんのインタビューシリーズがすごいおもしろいのでもっと話題になるべきという話をしたい。鳴海さんの研究はVR、ARなどIT業界的に近年(何度目かの)ホットなトピックで、メディアアートやゲームとかいわゆるメディア芸術に隣接した表現でもありWebメディアの記事になったり紹介される機会も多いの研究成果としては「知ってる知ってる」というものも多いんだけど、そうした視覚やそのほかの感覚に介入する技術の積み上げを足がかりにして、人の認知そのものをチューニングし現実の行動をサポートするツールが作れないか、という鳴海さんの目標がたっぷり語られているところがとても興味深い。

インタビュー冒頭が

※○:森山さん ■:鳴海さん

○VRって、最近はだいぶ知られて来るようになりましたけど、まだまだ一般の方って、「バーチャルリアリティ(VR)」って、「おもしろ体験を作る物だ」ぐらいの感覚しかないと思うんですよ、多分。

■うん。

○それってちょっともったいないなと思っていて。その裏にある認知科学的な知見であるとか、あるいはそういうサイエンスにも踏み込んで行けるツールでもあるんだよ、というところを、できれば読者の方にも感じてもらいたいなと思っていて。それには鳴海先生がぴったりなんじゃないかなと思いまして、今回インタビューをお願いしました。

■それは、ありがとうございます。

サイエンス・メール 2018/2/8 鳴海拓志-1

というところから始まるんだけどまさにそういう内容になっていて、VR系の開発者だとか人の行動を変えるデザインに興味を持っている人には必見のインタビューだと思う。「ボイスチェンジャーによる擬似的な女声と機械的なボディコンタクトという人を馬鹿にするなという装置でも、男性が事実やる気になる」みたいな、VTuber的にビジネスチャンスを感じる知見も語られているし。

上記の知見はこの公開講義でも紹介されてた

あと『サイエンス・メール』のいいところは、研究者として道を定める以前の学部時代のわりとふわふわした話だとか、今の研究に至る長い経緯や人のつながりだとか、あとまだ研究になっていないアイデアだとか、かなり雑談にちかい話もカットされずに読めるところだと僕は思っているんだけど、鳴海さんの回では「駒場キャンパスを歩いていたら岩井俊雄さんに会ったことが今の研究につながる原点」みたいな余談的ないい話もあっていい。インタビューシリーズはまだ終わってない(そろそろ終わりかな?)ので今後も楽しみ。

まぐまぐで個別販売もされているそうです。


Oculus Goを買った

Oculus Go | Oculus


PSVRもスルーして、VRヘッドセットはスタンドアロンのDaydreamデバイスが日本で買えるようになってからかな…と内心思っていたんだけど、自分の誕生日プレゼントとしてなにか買おうかなと物色していたタイミングでOculus Goがいきなり販売開始されたを見て衝動買いしてしまった。衝動からの注文だったせいもあり住所はばっちり日本語で入力していたので、雑な機械翻訳で配送先が書かれて配送が混乱しているという話(話題のOculus Goで配送トラブルが発生中 注文の際、住所は「英語」で書くべし(訂正あり) – PANORA)に戦々恐々としていたんだけど、結果的には僕の注文に関しては問題なかった。配送のトラッキング情報をチェックしていたらCHIBA-SHIで「荷受人が留守または休業」というステータスに変わったので、

これは間違った住所に届けられたのか? と思ってFeDexに問い合わせメールを送ったら折返し電話があり、「住所は多少間違っているが問題なくて実住所が不在だっただけ、CHIBA-SHIと表示されているのはFeDexから配送を受け渡した国内業者の営業所が千葉だということを示している」とのことだった。丁寧なサポートでFeDexの好感度上がったけど表示はちょっと工夫してほしいな。あとモバイルビューが日本語対応してないのも。

VRヘッドセットとしての完成度は評判通りで、スマホを触るくらい、とまではまだいかないまでも、ノートパソコンを開くくらいの心理的負荷でVRにアクセスできるのは素晴らしい。変にもったいつけられて期待値が上がらないのでVRコンテンツ自体の驚きも増す気がする。さすがに大きさや現状の用途的に日常持ち歩くデバイスにはならないけど、あと2世代くらいデバイスとソフトの進化が進むとまさに今の「スマホを触るくらい」の感覚で触れるものになっていくんだろうなと思う。

ソフトはまだいろいろ試している段階だけど、いっこ挙げるならSmash Hitかな。Coco VRは出来は悪くないけど期待があったぶんいろいろ残念に思った。評判のvirtual virtural realityもいいんだけど、ゲームシステム的にポジショントラックを前提としているのでGoのコントローラだとどうしても操作のストレスが大きい。HTC Viveとかでちゃんとやりたい。

あとBlade Runner 2049: Memory Lab | Oculusがある意味よかった。これゲームとしてはすごいしょぼくて、グラフィックのクォリティとくにテクスチャの解像度が初代PSくらいな一方で実写ムービーとの合成があったり、総体として1995年のゲームの雰囲気を醸しているだけど、このドレスダウン感が逆にサイバーというか、わざとじゃないんだろうけど「当時のスペックで夢見られたサイバーパンク/VRの世界」を今体験できるというコンテンツになっているのでそういうのが好きな人におすすめ。ただこういう頻繁に周囲を見回して体験するゲームはちゃんと立ってプレイしないと首にとてつもなく負担がかかるというのが翌日わかった。


『Florence』をプレイした

「Florence」をApp Storeで


DDLCをクリアした勢いでゲームどんどんやろうと思って同じく短い『Florence』を買ってプレイ。ドトールでコーヒーを買って席でヘッドフォンをつけてゆったりプレイ始めたら飲み終わるうちに終わった。この値段(¥360)でこのボリュームどうなのという意見もあるみたいだけど、コーヒー1杯分の値段と分量ということなんだと思う。

インタラクティブの形態としては幼児向けのデジタル絵本的なアプリに含まれるものとほぼ同質で、『モニュメント・バレー』のような抽象的だったり虚構度が高い世界であればやることが単純でも気にならないけど、舞台が身近で具体的なものだと野暮で幼稚なものに見えてしまうということなのかな…と思いながらプレイしていたんだけど、いくつか「!」と思ったものは、藤幡さんのいう「インプットとアウトプットの間の詩的な関係性」が感じられるものだった。なかでも新鮮だったのは、2つのインタラクションが「韻」を踏むように配置されているものだったりで、つまりこうしたタイプの(インタラクションの質やメカニクスの複雑さをあえて排除した)ゲームには、「文学的なレベルデザイン」と呼べるような制作が必要なんだろうと思った。


立命館大学アート・リサーチセンター『ゲーム展TEN』で『リアル・タイム・マシーン展』が紹介されてます

「ゲーム展TEN」開催中 ~ 立命館大学ゲーム研究センター: Ritsumeikan Center for Game Studies(RCGS)


立命館大学アート・リサーチセンターで、「(おもに国内の)デジタルゲームを扱った企画展」そのものの歴史や系譜、展望を扱った企画展『ゲーム展TEN』が開催されていて(1/29から公開されていて2/14まで)、僕の2005年の個展『リアル・タイム・マシーン展』も紹介してもらっている。去年の秋に井上明人さんに声をかけていただき、ゲーム研究センターの研究者の方々に取材してもらっていて(文化庁のメディア芸術に関するアーカイビングの一環だそう)、そのときに「できれば『ゲームの企画展についての企画展』をやりたいんですよね」という話をきいてそれは見てみたいですねーという話をしていたところ、実現かなったようでまずはめでたい。

扱われている企画展については、おそらく個別のゲームや作家にフォーカスした展示は避け、デジタルゲームというカテゴリ自体を扱う展示に絞るというような基準で選ばれているものだと思うんだけど、『東京藝術大学ゲーム学科(仮)展』があるなら、奥田栄希さんの『悲しいゲーム展』とか、METEORの『わたしのファミカセ展』とかはあってもよかったのでは…というか僕のだけ浮いてるのでは…と思った。「デジタルゲームをめぐる保存や利活用」という観点でいうと『パックマン展』は取材したほうがよかっただろうし(展示してないだけで取材はしてるのかもしれないですが)、ただ範囲を広げるときりがないというのもよくわかるので難しい。ちょっと展示期間中に立命館に行って展示が見られるかわからないけど、『ゲーム展TEN』のキュレーションの意図が現地で伝わるものになってるといいな。


せっかくいい機会なので、個展関係の記事をこのブログにインポートしておいた(Work in progressはいま公開するのはかなり恥ずかしいな…ミュージックバトンとか書いてあるよ)。

当時に近いかたちとしては、いちおう http://realtimemachine.sakura.ne.jp/collisions/works/exhibition に残っている。というかこのさくらのレンサバ自体がこの展示のため(『PONG-ED』でボールの位置情報を中継するソケットサーバスクリプトを置いてた)に借りたとこだった。

あとはこの個展の作品の原型である実験映像『プロジェクト:ビデオ同期』シリーズ。当時シェアハウスしてた友人らとしていた「オリジナル基板と移植版に同じコントローラつないでゲームすれば移植度がわかるのでは?」というバカ話を実際にやってみたら、移植度うんぬんというより純粋に体験として面白かった、というのがこの一連の活動の原点かな。

当時のmixiの日記とかを振り返っていて思い出したけど、女子美の助手が終わるころガビンさんから「個展とかやらないの〜(やれ)」という背中押しを何度もされていて(ガビンさんに誘われて仕事をやめて短任期の非常勤助手をはじめて、その後のことも決まってなかったので)、でも作品制作そのものもやったことないのでぼんやりしたまま任期も終わり30歳にもなってしまったところ、ギャラリー企画展に次の作家を探していたクキモトさん(当時藝大先端にいた)にガビンさんが僕をつないでくれて、結果なにか制作せざるをおえなくなった、という経緯だった。まあでもやっぱり追い詰められてでも個展としてやっておいたおかげで今回のように13年を経て紹介してもらえるような機会もあったわけでよかったなと。


「MEDIA PRACTICE 17-18 東京藝術大学 大学院映像研究科 メディア映像専攻 年次成果発表会』を見た

MEDIA PRACTICE 17-18 東京藝術大学 大学院映像研究科 メディア映像専攻 年次成果発表会


毎年行けないなーと思っていたMEDIA PRACTICE初めて行けた。考えてみたらそもそも美大の卒制展そのものも最近見てなかったな。面白い作品多くてよかった。それと修了生の作品と各研究室の座談会をまとめたプログラム(アンケートに答えるともらえた)がとてもよくできていてびっくりした。座談会どれもおもしろい。

作品ではやっぱり早川翔人さんの作品がいちばんぐっときた(『誰にでも』は「田中さん」と呼びかけられる作品でもありベストマッチだった)んだけど、プログラムのほうでまとまられていた自作の狙いとアプローチの変遷もとてもクリアでそれもよかった。


『中京大学 × プラネタリウム × アートピア 『The Edge of Infinity』』を見た

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 催し物案内 | イベント| プラネタリウム特別連携事業 The Edge of Infinity

これ見たいなとツイートしていたら、さわむら氏(ucnvさんと高校生のころからの旧知)がじゃあいっしょに行こうかと誘ってくれたので遠征して見てきた。いやー、今年観たもののなかでぶっちぎりですごい映像体験だった。


味仙で胃をグリッチさせてる

kotaro tanakaさん(@doppac)がシェアした投稿 -


まず今回初めて知ったんだけど名古屋市科学館の「Brother Earth」(ブラザー工業によるネーミングライツド施設なんだけど、名前のコズミックファンク感がすごい)というプラネタリウム施設自体がかなりすごいものだった。世界最大だという内径35mのドームスクリーンに、最新鋭の光学式プラネタリウムによる実物さながらの星空が投影できるのはもちろん、22台(だったかな?)のプロジェクターで8Kの全天周映像・動画を投影できるデジタルプラネタリウムシステムがある(併用も可能なのだそう)。冒頭の設備解説のなかでスーパーカミオカンデの内部写真が投影されたりしてたけど、カミオカンデみたいな物々しさはないにせよ、このドームに映された全天周映像にはそれ級の崇高さがあり、巨大スクリーン大好きなのでそこだけでもけっこう感動した。

そして、今回のイベントがものすごく狂っていた。名古屋市科学館的にはたぶんプラネタリウム夜間上映の一つとしてプログラムされているもので、鑑賞層も10月にはここで「お月見の夜」を観たのであろう地元の科学館サポーターで年配の方が大半なのかなという感じだったんだけど、今回の『The Edge of Infinity』ではそうした客層に全く容赦をしない色彩、スピード、回転、点滅、グリッチによる映像とアブストラクトな音響からなる上演が行われ、そしてここが重要っていうか狂っているなって思ったとこだけど、そうしたきわめて前衛的な上演と上演の合間には、通常のプラネタリウム夜間上映と同様なのであろう穏やかなナレーションとわかりやすいスライドによる、ビックバンや宇宙の果てにまつわる天文科学プレゼンテーションが差し挟まれるのだった。体験した印象としては、イベントの構成がグリッチ画像よりも壊れていた。ただこの事故的な構成によりたまさか生まれたディープさと独特の浮遊感というのが確実にあり(『ジェットストリーム』みたいな深夜ラジオ番組を想像してほしい)、そこがよかった。こういうミスマッチはたぶん東京のイベントだったら起きていないことで、グリッチが好きなひとは地方のイベントにこそ行くべきなのではと思う。

『The Edge of Infinity』は中京大学人工知能高等研究所 メディア工学科所員の井藤雄一さん、上芝智裕さん、カール・ストーンさんに、ゲストとして真下武久さん、ucnvさんを招いて、それぞれ映像、サウンド担当で2人づつのチームとなって(ちょっと今手元に資料がなくてチーム構成が書けないけど)、ドームスクリーンとサウンドシステム(サウンドシステムも多チャンネルからなる独特なものだったみたい)に合わせた3つのパフォーマンスを上演するというもので、それぞれ魅力的なものだったんだけど、やはりトリをかざったucnv x カール・ストーンのパフォーマンスについて書いておきたい(ちなみにカール・ストーンさんだけはプラネタリウム現地のブースからのライブパフォーマンスだった)。

ucnvさんのグリッチ/データモッシュ映像としてはTerpentineで確立された作風(破壊風?)の延長上にあるセッションになっていたのだと思うんだけど、考えてみれば、われわれはいかにも画像らしい矩形のスクリーンがグリッチしたものしか見たことがなかった。世界最大の径をもつ球面にプロジェクションされた、ほぼ実空間をとして知覚される全天周のそれを見たことがなかったなーーーーという感想で、Terpentineの後半にある画面下からせり上がってくるグラデーションみたいなグリッチがあるじゃないですか。あれがプラネタリウムに映すと「地平線」に見えるんですよ。画面上から色がしみ出すようなグリッチ映像は、天頂から色が降り注ぐように見えるわけですよ。キーフレームが抜かれて壊れた色面が突如動き出すあのデータモッシュ独特のドリフトが全天周で起きると、われわれ自身がドリフトし始めたように感じるわけですよ。エモすぎて思わず文体も変わってしまったわけだけど、人工物である画像に起きる「事故」がグリッチなのだとして、他方自然は作られておらずしたがってグリッチもしないのだとして、あの日観たグリッチ映像は僕が見た限りでもっとも「自然」なグリッチ映像だったように思う。


Turpentine from ucnv on Vimeo.


とにかくもしかしたら二度と観られない映像体験が得られてラッキーだった。イベント終了後ちょっとだけucnvさんと話す機会があって聞いたけど、今回の上演にあわせてかなり特殊な制作をされたそうで(8K4K(訂正)の連番pngを何日もかけてレンダリングしたとのこと)、一度だけなのはもったいないので再演とかあるといいな。ていうか上映環境としての「Brother Earth」とてもいいので変態アニメーションナイトとかもあそこで上映してほしい。


Akihiko Taniguchi/Chie Taniguchi『nothing happens』


TRANS BOOKSで買った谷口暁彦さん、タニグチチエさんによる写真集『nothing happens』、物理写真集やポスターも素敵なんだけど、付録2である『nothing happens』アプリ版が予想以上におもしろかったというか、何か別のものの原型のように思えた。

『nothing happens』は、谷口さんの先日まで展示されていた新作『何も起きない』からいくつかのシーンを切り取って写真集にまとめたもので、それを買うとついてくるUSBメモリに納められているアプリ版『nothing happens』はその電子版…といいつつpdfとかではなくて「写真集を再現した3Dモデルデータをリアルタイムレンダリングで読めるアプリケーション(Unity製)」になっている。

そこまでは知っていてなるほどおもしろいなと思って買ったんだけど、実際に起動してみて驚いたのは(実際はよく読むと上のツイートにも書いてあるんだけど)この「写真集を再現した3Dモデルデータ」が配置されているのは、この写真集の題材である『何も起きない』という作品の舞台である「あの部屋(の3Dモデルデータ)」なのであり、つまりこれは、作品の一部を編集した本がその作品の一部であることが、現実として目の前で体験できるアプリケーションなのだった(起動したままにしておくとアプリ内で時間が経過して日が暮れたり昇ったりもする)。何も起きていないかわりに大変なことになっていた。

あと、今回このアプリを体験してみて、「読書環境も含めて提供されるVRによる未来の本」というものが他にもあり得るんじゃないかと感じた。本1冊のために専用のシーンを作り込んだりするのはオーバースペックだろうなとは思いつつ、なんとなく「VR読書」みたいな話には鼻白むものを感じていたなかで今回の体験は新鮮だった。「VR『はてしない物語』」とかあったら読んでみたいよね。

ちなみにアプリ版『nothing happens』は書いてないけどCmd/Ctrl+qで終了だそうです(ESCキーは効かない)。

Trans Booksで買った谷口さんの「nothing happens」

kotaro tanakaさん(@doppac)がシェアした投稿 -

nothing happens

kotaro tanakaさん(@doppac)がシェアした投稿 -


ルチアーノ・フロリディ『第四の革命 情報圏(インフォスフィア)が世界をつくりかえる』を読んだ

第四の革命


弊社代表石橋の推し哲学者ルチアーノ・フロリディの単著としては初の邦訳(でいいのかな?)。フロリディさんは「有形無形問わずあらゆるものは情報であり、情報の『よさ』を中心とする情報倫理を構築すべき」という非常にラジカルな世界観を提唱する情報哲学者なんだそうだけど(参考:情報/ITアーキテクトのための「使える!フロリディ情報哲学」)『第四の革命』はその情報哲学の入門編ともいえる内容で、ドライブ感ある文体や独特の(センスオブワンダーを感じる)造語が読みやすく訳されていてたいへん楽しめた。

この本のいう「第四の革命」とは、コペルニクス、ダーウィン、フロイトに次ぐ第四の脱人間中心パラダイム(の転換期)として、昨今のITC技術による情報爆発とその自律エージェント化を位置づけるもの。人間環境のデフォルトと化した人工物を「新しい自然」と見なしたり、IoTやスマートエージェント技術の描く未来像に人間中心主義の終わりを見いだすような発想はとりわけ新しいというわけでもないかなと思いながら読んでいたんだけど、人間を情報エージェントととらえたとき、これまで「人間性」を基礎づけてきたシステム(たとえばプライバシー、たとえば政治)がどのような物理的制約のもとで成り立ってきたのか、そしてすでにわれわれが手にしている高度に発展し民主化されたICTが、そうした「人間性」をどのように作り替えているのか、つまり、すでに情報エージェントであるわれわれが、いま「人間性」とは実際には何だと思っているのかをここまで詳細に網羅的に分析していると説得力が違うなと思う。そしてやっぱり数々繰り出されるキャッチーな造語が「第四の革命」感あって最高。inforg(情報有機体)! e-mortal(e-不死)! 情報摩擦! 政治的アポトーシス!

「世界の見方を変える」という意味ではまさしく哲学書なんだろうけど、いわゆる「哲学書」的な語彙は少なく前提知識も不用だし、むしろIT技術書のようなプラクティカルなセンスにあふれている(「社会契約説では人は法的にオプトアウト」みたいなパンチラインがぼんぼん出てくる)のでまあ分厚いけど恐れずにノリでどんどん読んで情報圏インフォスフィアに取り込んで作り替えていくといいと思う。

石橋さんとオーバーキャスト大林さんのフロリディ対談は、あんまり本書の内容に触れてなくて残念だったな。この本の内容にこだわった読書会的なやつ希望。


アラン・ケイ『アラン・ケイ』を再読した

アラン・ケイ (Ascii books)
アラン・C. ケイ
アスキー
売り上げランキング: 122,923

エクリの水野勝仁さんの連載を読んでいて、ふとアラン・ケイの本を読み直してみようと思ったので図書館で借りてきた。前読んだのはあんまり定かじゃないけど、Oh!Xに荻窪圭さんの書評かなんかで知って発売当時に買ってたはずなので高校2年か3年の春休みとかに読んだんだと思う。地元のスキー場で雪が融けた後のグラススキー用のリフトの監視みたいなバイトがあって、それをしながら読んでた記憶があるので。

で読み返してみたら、言うまでもないけど今読んでもまったく古びていないインターフェイスの思想が語られた論文群で、あらためて読んでもこのころにこういうことを言っていたのかと新鮮な発見が多かった(「コンピュータ・ソフトウェア」のなかでスプレッドシートについて「セル宇宙のシミュレーションをするもの」だと説明するところとかは今回よんで初めてなるほどと思った)。

最後の講演録「教育技術における共立の対立」はたぶん前読んだときは読み飛ばしてた気がするんだけど、今回読んでここが一番おもしろかった。アランケイいわく、成功する製品は「人間の深奥の欲求にこたえる“増幅装置(アンプ)”になるもの」である必要があるが、その人間の欲求とは大別して「夢想したい」と「コミュニケート」したいに分けられると。この2つの定義は欲求の定義が(あまり細かくは語られないものの)独特で、たとえば飛行機のような時空間を圧縮するテクノロジーは「コミュニケートしたい」欲求をかなえるものになるのだという。では「夢想したい」はどういう欲求なのかというと、これは「自分だけのファンタジーを制御したい」という欲求だと考えればよい。ファンタジーとは、例えば言語、スポーツ、ゲーム、音楽、コンピュータシミュレーションなど「単純明快で制御可能な世界」のことで、つまり世界を単純で制御可能なものに見せてくれるテクノロジーが人々の心をつかむのだと説明されていて、この説明は非常におもしろかった。この定義でいくとSNSは「コミュニケートしたい」欲求に応えるようでいて「夢想したい」のほうの欲求に応えているんだな。