まとめて見てきた。
字字字 大日本タイポ組合
そういえばインターネットに触れてWeb経由で最初に「こんな人たちがいるんだ!」と衝撃を受けたのがリトルトーキョーのサイトで公開されていた大日本タイポの作品だったな。
大日本タイポ組合の作品は見ると、日本人でも漢字が読めない外人が「これ読めないけどなんかすごい意味ありそう!」って思う(のであろう)感覚が感じられるというか、ほんらい意味を持つ形の意味をとりのぞいた形のエネルギーだけ伝わってきてすごいのだけど、逆に言うと脳がかなり疲れる。疲れるのはそのせいだけじゃなくて圧倒的な物量のせいもあって、BCCKS関係で(おもに塚田さんに)ふれる仕事にも思うしこの展覧会でもほとんどは新作のようで、どうやったらこれだけのアウトプットができるのか想像もできなくてくらくらした。
SOBO 10th EXHIBITION 谷口暁彦 / スキンケア
ひとつまえの個展(谷口暁彦 個展『滲み出る板』を見た)はいまいちどういう作品だと思えばいいのか戸惑ったのだけど、今回の展示は4つそれぞれの作品のおもしろさとつながりがとらえやすくて、すごく興味深く見た。やっぱりポストインターネットというか、インターネットを介した現実には「圧縮」が関係している気がするな。いちど現実の情報量を極端に減らし、その情報が減ったものから再度構築された現実のような。
NNNNYのエレクトリカル大0界(ダイレーカイ)
そういえば書き忘れてたけど観に行ってたやつ。「「あの世」をテーマにした
体験型の展示」だというので朝からSOBO Galleryに入ったらひたすら真っ暗で、「こういう展示なのか…?」と思っていたら始まった(そのあとはずっとリピート動作してたので、たぶんその日の最初の客だったのでまだ開始してなかったんだと思う)。いわゆるモンド・ミュージック的なサンプリング(ディープエコー多用)をBGMに回転灯篭やミラーボールが次々回ることによりスペイシーでニルヴァーナな空間が生まれていた。お堂イベントとかでもっとデラックスなやつが観てみたい。
下の階(SOBOのレンタルフォトスタジオ)に赤ちゃんの撮影か何かで集まっていた(階段で上がる時に何台もベビーカーが入っているのが見えた)みたいで、その赤ちゃんの鳴き声がうっすらミックスされていてそれもよかった。
【アート】「境界」 高山明+小泉明郎展 | HERMES - エルメス公式サイト
会期終わるので駆け込みで観てきた。なんか言うのすごい難しいけど、SONYのテレビでの展示方法が目を引いたな。高山さんの牛の作品は今のHD画面比のテレビを床置きで並べてあるだけで牛っぽいとこがすでに面白かった。小泉さんの作品の抽象的なオブジェになっているテレビやプロジェクターは『インサイドヘッド』で頭の持ち主が感情をなくしていくことでカナシミやヨロコビのキャラクターの姿がどんどん簡略化されていく部屋のことを思い出したりした。
トミカ博 in YOKOHAMA|イベント・キャンペーン|タカラトミー
蔡國強展:帰去来 | 横浜美術館
まずトミカ博に行った。トミカ博って初めて行ったんだけどトミカが好きなこども(幼年)むけのアミューズメントイベント的な面とコレクター向けの限定販売トミカの即売会的な面と両面ある感じなのかな。体験型のコーナーがわりと充実していて(まあ有料なんだけど)、トミカ釣りとかトミカピンボールとかけっこう趣向を凝らしてあって他のとこではできない感じになってるなーと思った。ただ人が多すぎる。
で、観たかった蔡國強展。『壁撞き』は実際に展示空間に立つと作品のスチルで想像していたような禍々しさとか鋭さはあんまり感じなくて、狼の表情やふわふわした毛並みからかむしろユーモラスな感じがあってよかった。子供もわりとおもしろがっていた気がする。新作の花火ドローイングは春画がモチーフで子供と長居できなかったけどもうちょっと観たかったな。
作家らの作品は、解体された次元に配置されることを要請された。そして、一度も展示されることがないだろう。
SOBO / Asyl
SOBO Galleryはアーカイブとかないんだな。なるほど。
ucnvさん企画の展覧会? というべきなのか、でないとするとなんと呼ぶべきなのかわからない展示、『Vacant Room』を観に行った。行く途中で知らない参加作家を検索してみたんだけど、いまいちそれらしい情報がないなと思いながら向かった。
展示内容についてもどう触れたものか迷うけど、タイトルの通りVacantなギャラリースペースに置かれたハンドアウトに従ってスマートフォンの特設サイトにアクセスすると、「参加作家の作品が搬入され、展示され、搬出されるまえに収められたギャラリースペース(のようにみえたけど実際には展示されていないのかもしれない)の全天球カメラ画像」を、ジャイロセンサーに連動したビューアで空間を覗くように眺めることができる。ジャイロセンサーの精度やビューアの不安定な挙動により画像はつねに不安定に揺れるし、そもそも見られるのは拡大もできず全天球カメラのスティッチの都合で一部が不自然に歪んだ画像だ。純粋にコンピューターの中のバーチャルギャラリーとして見ればそうでもないかもしれないけど、実際の場で展示としてこれを見ると、なんだか黙ってしまうような不全感があった。もちろんそれは企てられたもので、なにもない会場に唯一書かれた言葉は「Please Do Not Touch This Artwork」。すでに何重にも可能性が奪われたその行為をだめ押しのように禁止するその文言を笑おうと思えば笑えたはずなんだけど。
ucnvさんと水野勝仁さんのギャラリートークもあると聞いていたんだけど、それも会場には会場には当事者は登場せず、ハングアウトが会場に流されるスタイルだった。トークでは本展示の背景(空間、写真、地図、テクスチャ、googleMap、インターネット以後とその反映としての芸術表現)が議論されていたんだけど、ucnvさんには問題意識というか、ある種のいらだちというか、なにか根本的な部分での疑いがあるのだろうと感じられた。次の作品や展示も見たい。
【アート】「線を聴く」展 | Le Forum | HERMES - エルメス公式サイト
先週の水曜の講義の帰りに観た。授業のため週1で取手に行くのなかなかハードなんだけど、定期的に東京の東側を通る機会ができるので美術館やギャラリーに寄るタイミングになるのはなかなかいい。
展示は美術館の企画展のような(じっさい森美術館『シンプルなかたち展』との共同企画だそうですが)「線」にまつわる想像力をテーマとして時代を問わず集められた作品を見せる展示で、むしろ美術館ほど広くないぶん、なんというのかな、「テーマ疲れ」しないというのかな、作品とその作家にフォーカスしやすくてよかった。作品もどれもよかった(キャプションと作品の位置関係にちょっととまどったけど)。「線を聴く」というタイトルだけど、見えない力と力の干渉が線としてあらわれているような感じ。
関係ないけど、「イベントリスナー」という用語を最初に聞いたのはjavaのプログラミングからだと思うけど、「イベントって聴くものだったのか!」って最初違和感があった気がする。
SCAI THE BATHHOUSE | Exhibitions | 現在の企画展 | 名和晃平 「FORCE」
小学生のころ、図工の版画で使う黒インクが好きだったのを思い出した。深い黒と鋭いハイライト。張り付いた面をはがすときの裂けるような音と模様、滴が黒い糸のように細く高速でからまりまだ平滑な面に戻っていく感じ。濃い匂い。
匂いはなかったけど(着色して粘度を調節したシリコンオイルらしい)黒インクのかっこよさ(スペーシーな感じ)を全面展開した作品群でとてもよかった。
結城 昌子
小学館
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レーズン大統領こと猫ちゃんこと林さんがツイートしていたのを見て図書館で借りてみた。いわゆる歴史的なド名画の「実寸大の部分トリミング」を収録することでよく知ったつもりでぼんやりとしか知らない作品の「手仕事の魅力」を伝える本。こういう本をみると紙のとくに大型本のちからはものすごいなと思う。
どのくらい実寸なのかというと、こういうマクロ図があるくらい。
大判で等身大以上に描かれた人物画を実寸で見るのはほんとうにくらくらする体験なのだとわかった(美術館で見るより本で見るほうが間近になるのでそのせいもあると思うけど)。10年前の本だけどこれは素晴らしい。
SPECIMENS OF TIME -時間の標本-
DIESEL ART GALLERYでやってるLING MENGさんの展示「SPECIMENS OF TIME -時間の標本-」を観た。自然物や自然の法則を標本のように定着させた作品の展示。もともとプログラマーなのだそうで、葉っぱや樹の枝を集めて並べただけの作品でもなんとなくジェネラティブな作品ぽいというか、やっぱ自然ジェネラティブアートうまいなとか転倒した感想を漏らしてしまいそうな「こうなっていてほしい」というコレクションになっていてなかなか気持ちよかった。
vol.7 青野文昭 Fumiaki AONO | gallery αM
浜辺に流れ着いたり道端で拾った廃材や家具をつなぎ合わせ、もともとそうであったかのように「なおす」という手法で作品を作る青野文昭さんの個展。3.11に合わせての企画で東日本大震災の津波で流れた素材を使った大きな作品が多かった。実物を近くでみると色んな意味ですごくて、「恐い」という感情を強く感じた。なんだろう、津波の被害を生々しく感じるみたいなのもあるんだけど、タンスとか机とかいった本来なめらかな平らな面を持つはずの製品がちょっと有機的なメタモルフォーゼを経て他の素材(鉄とかプラスチックとか)と接合してることの気持ち悪さなのかなあ。レタッチソフトの「コピースタンプツール」とかスティッチングツールによる自動補完みたいな「自然な不自然さ」みたいなのもあった。この恐さがどこからくるのだろうかとまじまじと見てしまった。