是枝裕和『万引き家族』を観た
カンヌの受賞クレジットのある映画を久しぶりに観た気がした。おもしろかったけど、是枝さんの近作だと『海よりもまだ深く』が印象深くてそれは更新されなかった感じ。といいつつ『海よりもまだ深く』1回しか観てないのになんでそんな刺さってるのか改めて観てみたい。今作は樹木希林×安藤サクラのツーショット(の達人同士の手合わせ感)に尽きるかな。
カンヌの受賞クレジットのある映画を久しぶりに観た気がした。おもしろかったけど、是枝さんの近作だと『海よりもまだ深く』が印象深くてそれは更新されなかった感じ。といいつつ『海よりもまだ深く』1回しか観てないのになんでそんな刺さってるのか改めて観てみたい。今作は樹木希林×安藤サクラのツーショット(の達人同士の手合わせ感)に尽きるかな。
ゲンロン8のサイン会中継で激賞されてたので読んでみた。完結してるんだと思ってたらしてないのね。
どういう話かはなんとなく知っていたとはいえ江戸幕府のこともよく知らないしBL系の作品も読みつけないので最初かなり混乱したけど、だんだんと慣れて内容に没頭できるようになったらおもしろみが理解できるようになった。読んでみてわかったこととして、この作品の設定(ジェンダーロールが逆転した時代劇)やBL的な(といっていいのかよくわからないけど)恋愛描写の必然性に、漫画の記号性が関わっているんだなと思えた部分があって、服装や髪型での差別化が困難ななかで極めて微細な記号の差異で描き分けられるこの漫画のキャラクターの世界において、社会のなかで男女の立場が逆転するに至るSF的な考証とは別のレベルで性別は容易に反転しうるしもっというとあるキャラクターと別のキャラクターも容易に混同しうる、そういう不確定性もふくめたかたちの「恋愛」が描かれているんじゃないか。歴史が好きな人にはもうちょっと別の文脈があるんだと思うけどそんなことを思った。
最近GbMのTシャツデザイン作業での過活動を経て「モ作」にアップグレードしたらしい鍵っ子が「今度デジオやりますよ」と言ってて、それがヌケメさんシシヤマザキさんとの3人番組『KNS目隠しラジオ』だったんだけど、それをようやく聞いたところすごい面白くて一気に全部聞いてしまった。
これ聞くまでわかってなかったんだけど(よく見るとnoteの最初に書いてあるけど)、「目隠しラジオ」というタイトルは単なるおどけたネーミングじゃなくて「パーソナリティ3名がそれぞれアイマスクで目隠しをした状態でトークする」という番組コンセプトをそのまま表したもので、番組第1回はその「目隠しをしたままトークをするという体験」についてのトークになっている。
KNS-2-1 初めての目隠し!プレ雑談|KNS目隠しラジオ|note
1回分のトーク(みんな目隠ししてるからなんだろうけど、10分ごとにタイマーを鳴らすようにして収録を区切っていくという番組のルールになっているみたい)全編、三人が三人とも目隠しトークという体験の予想以上のおぼつかなさにひたすら戸惑っているだけなんだけど、何故か番組として成立してるうえ圧倒的におもしろく、いきなりつかまれてしまった。ほかの回を聞いても思うけどお三方の相性のよさとおもしろいことに対する感度の高さ、そして共通する品の良さのようなものが出てるとこ(目隠しの効果によるものかは不明だけど)がこの番組のよさなんだろうと思う。続きも期待しています。
ウェス・アンダーソンの映画はあんまり得意でないというかもっと好きな人に譲りたいと思ってしまう感じだけど、今作はウェス・アンダーソンが日本(のデザイン)を題材にするとこうなるというところをリアルタイムに観られてよかった。日本語を扱ったグラフィックデザインとしてここまで濃さを感じるものを久々に見たんだけど、それでいてこれまで見知ってきたものとは何かが決定的に異なっていることも感じて冷や汗が止まらないみたいな。異星人にキャトルミューティレーションされるとこういう感覚になるのではないかと思った。
読んだ。これまでの「『未婚のプロ』を名乗る謎の威勢のいい40代日本人女性、ジェーン・スー」というパーソナリティといっしょに打ち出されてきた著作とはあきらかに一線を画す力の入った一作。素晴らしかった。スーさんラジオで「もう私作詞なんてできない」とおっしゃっていたけど、なんのなんの、ドメスティックでプライベートでデリケートな風景から普遍的かつユーモラスな瞬間を選び出す眼差しや、タイトルの並びに、これまで以上に彼女の作詞家としての側面が浮かび上がっているように思った。
こないだのPS Storeセールで買っていた『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』クリアした。とてもよかった。これVR版とか出たらプレイし直してみたいな。
ゲームの中での(フィンチ家の人々の死因の)体験はそれぞれきわめてフレッシュかつ刺激的でよかったけど、ひとつ挙げるならやっぱりLewisのやつ(魚の頭を落とす作業をしながら空想に浸るやつ。Jerry Chu氏のコラムでも詳しく触れられている)だな。空想と現実が同居する感覚をあれほどすぐそこにあるものとして描き得た表現って他にないと思う。Barbaraのコミックの中に入る感覚もなかなかだった。
担当していた講義が2017年ですべて終了することになって、これで十数年つづいたセンセイ業も終わりだなーと思っていたところ、年度末も押し迫ったころにガビンさんから手伝ってもらえないかという依頼があり、もうちょっと続くことになった。
これまでと違うところはUnityで授業するとこで、僕からは授業内容としてこれまで自分がやってきたのに近いプログラム演習よりの企画案(Chrome拡張を作ってWebをいじるみたいな)を出していたんだけど、昨年度やったUnityの授業が予想以上に反響があった(卒業制作にUnityを使う学生が出てきたりとか)とのことで、昨年度の授業の流れを引き継ぐ形で授業をやることに。ちなみに昨年度担当していたのはsartoruhiga先生で授業テキストを大幅に参考にさせて(というかほぼパクらせて)いただきました。最初に学生にやらせる演習が3DTextの数字を3次元空間のいろいろな向きに配置したサンプルシーンを配って「数字が正しい向きでシーンの真ん中に見えるように視点を操作しよう」というものになっていて、チュートリアルとして素晴らしかった。
昨年の授業の流れがあるとはいえ僕はUnityまったく触ったことなかったので大丈夫かなと不安だったんだけど、触ってみれば、これいまさら言うまでもないことなんだろうけどUnityはたいへん素晴らしいソフトで、コンピュータがそれほど得意でない学生にデジタルベースの作品をつくってもらう環境としてかなり可能性があるものだということがわかった。よいところいろいろあるけど(非商用無料だとか、機能がフルスタックだけどそこそこわかりやすいとことか)、美大の学生の授業という観点でいうと、Unityは「素材を用意(制作)する」という工程をスキップしてもそれなりの作品を仕上げていくことができる環境になっているという点が大きいんじゃないかと思う。学校や学科でだいぶ違うだろうけど僕の知る限りで、すくなからぬ美大の学生は「プログラム作品に素材(絵)が必要」となると全体の進捗そっちのけで(とくにプログラムに苦手意識があったりすると逃避にもなるので)絵をつくるのに没頭してしまうところがあるんだけど、Unityはシーンにプリミティブや標準アセットを配置して質感や反応を設定していくだけでも彼(女)らの創造性を発揮できるツールになっていて、「自分の素材」から出発しないぶん工夫が生まれて結果的に新鮮なものが生まれやすくなるように思う。もちろんUnityというパワフルなツールに使われてしまうという問題もあるし、それを超えるためにプログラミングについて知ってほしい(今回の授業ではほとんどプログラミングについては触れられなかった)というのもあるけど、そこは今後の課題。
授業テキストには 去年に続きScrapboxを使った(今回は僕が作ったのを学生は閲覧のみ)。GUIツールの操作説明はGyazo GIFがいっぱい使えるのは便利。
特に何の期待もなく観に行ったけどとてもよくできた娯楽作でおもしろく観た。元ネタのゲームが80年代ものだからなのか、演出も80年代感(ダサいという意味じゃなくて、ウェルメイドという意味で)があった。巨大オオカミ+ハリネズミのラルフのアクションがフレッシュでもっと観たかった。
そういえばオリジナルのゲームプレイしたことなかった(Beepにマスターシステムの移植版の記事が載っていておもしろそうだなと思って読んだ記憶がある)のでやってみようと思って探したら映画のプロモーションでアーケード版の移植がWebで遊べるサイトがあった(Rampage Arcade Game – In theaters April 13, 2018)。キーボードだとあんまりちゃんとプレイできないけど、ちまちましたキャラや細かく壊れるBGとかアーケードというよりもパソコンゲームっぽい感覚のあるゲームなんだな。
例によって新刊が出る前にとがんばって読んだ。前号に続いてロシア現代思想特集でまとめてロシアに関する論考を読んでるうちにちょっとロシアに親近感が増してきたかも。いち観光客としてテキストからのぞき見るロシアには精巧につくられた偽史や幻想文学のような、描かれていない歴史の厚みをふくめた重厚な虚構を読むような酩酊感を覚えてくらくらするんだけど、それが現実の隣国だということに二度目の驚きがある。イリヤ・カリーニン『魚類メランコリー学、あるいは過去への沈潜』とかいまだにこれ本当の話なの? と疑ってる。
許煜『中国における技術への問い——宇宙技芸試論 序論(1)』や山下研『イメージの不可視な境界——日本新風景論序説』もおもしろかった。