Make Your Saving Roll

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■個別の利便性よりもそのサービスを使うユーザの(のみならずサービス開発者自身の!)「体験」を重視し、サービスでのユーザの活動がそのサービスそのものの内容や性格をゆるやかに決定づけ、それ自体を成長させていくという、いわゆる「Web2.0」の世界観が、コンピュータゲームと親和性があるのではないか、いやどうかな、ていうかでもそれわりと当たり前じゃない? という指摘が、すでに多くの識者によって指摘されている。

現在のところWeb2.0と呼ばれるものが何を指すのかがはっきりしておらず、はっきりする目処もなく、各人が好きな結論を導けるようにはっきりさせないことが望ましいという雰囲気もあるため、ここでは筆者も断固としてWeb2.0を好きなように解釈するが、そもそもなぜWeb2.0とゲームが同じまな板に載せられがちなのかといえば、そもそもWeb2.0を代表するような各種サービスが、すでに「なんとなくゲームっぽい」からであり、さらにそれはなぜかといえば、単純にコンピュータゲーム直撃世代の若者が特有の軽いノリでサービスをざっくり作って好きな色で塗っているからに他ならない。

いわゆるWeb2.0的サイトの多くが、ムダに名称が凝ってたりとか、ムダにロゴが凝ってたりとか、なんか妙にポップでハイコントラストな色使いであったりとか、ちっこいアイコンとかドット絵が好きそうであったりとか、アニメーションしたりフラッシュしたりスクロールしたりズームしたりしがちなのは、そのためだ。それが好きなのだ。

したがってこの状勢において、よくわかんないけどとりあえずWeb2.0たらんとする者がいるとして、その者がWeb2.0らしくふるまうための方法を導くことができる。ゲームっぽくすればいいのである。これで現状ならばわれわれは「やっぱWeb2.0ってこうでしょ」と言うことができる。とはいえこれも、さほど容易なことではないだろう。ここでいう「ゲームっぽさ」は、これまでコンピュータゲームに親しんできた者の皮膚感覚として共有されているに過ぎないからだ。ともかくわれわれは、ここから出発しなければならない。われわれの考える「ゲームっぽさ」を、Webに実装する必要があるのだ。

なので、ひとつ作ってみた。ご覧のとおりである。ダイスをクリックすると投げることができる。出た目に特に意味はない。GoogleMaps上での使用を想定しているが、やっぱり特に意味はない。

bookmarkletとしての利用も可能にした。以下のスクリプトをアドレスバーで実行するか、新規ブックマークとして登録すれば、任意のサイトでダイスを転がすことができる。そのことの意味するところは自分自身で見つけてほしい。Web2.0がそうであるように。

javascript:(function(){var d=document;var h=’http://realtimemachine.sakura.ne.jp/dice/js/';var s=d.createElement(‘script’);s.src=h+’dice.js’;d.body.appendChild(s);var s=d.createElement(‘script’);s.src=h+’dicebm.js’;d.body.appendChild(s);})();


あの扉の音

■「どうぶつの森」シリーズのディレクター江口勝也さんのGDC講演のレポートがほうぼうで公開されてるけど、ここで江口さんが、「どうぶつの森」はもともと64DD向けの企画として立ち上がっていた、という話をされてたのに興味を引かれた。たぶんそうなんだろうなーと思っていたんだけど、あんまり今まで言われていなかったことだったような(雑誌のインタビューとか攻略本とかをチェックしてないけど、今までも公言されたことだったのかな?)。MOTHER3もふくめて、Nintendo64(64DD)では出なかった芽が今になって咲いている、というような話ができそう。

「どうぶつの森」については、DS版を買ったときにmixi日記に書いていたものがあったので、この際で公開しておきます。

2005年12月19日のmixi日記

■「おいでよ どうぶつの森」をようやく手に入れました。これからですよ。みんなもう飽きてる?

プレイを始めてまず、あーそうだったそうだったと思い出したのは、このシリーズ、音がいいんですよ、とても。音楽はもちろんのこと、みじかいファンファーレから効果音まで、「どうぶつの森の音」というものが、ほんとうにていねいに作りこまれている。これはもう、めったにないくらいに。

このシリーズを愛することになるプレイヤーは、どうぶつの森の、たとえばあの扉の音を、これから先ずっとどこかで覚えていることになるでしょう。じじつ僕はキューブ版はやってなくて64版をずいぶん前にプレイしてたきりだったんだけど、それを改めて聞いた瞬間に、ものすごく鮮明にどうぶつの森のことを思い出しましたもの。

ついでに余計なことも思い出しましたよ。このDS版「おいでよ〜」の元祖、Nintendo64版の「どうぶつの森」って、これ完全に僕の憶測からなる妄想ですが、もともと当時任天堂が64を使って世界を書き換えたりそれを交換したりできるような(当時としてはわりと)画期的なゲームソフトを提供するために長い間暖めていた(そして結果としてその羽化に失敗した)64DDと呼ばれるハード向けに、おそらくかなり長ーい期間を経て開発されてたソフトだったんじゃなかったかと思うんですな(繰り返し言いますが本当に知らないので完全に憶測です)。

ややムリヤリ発売されたふしのある64版やそれ用のアドオンプログラムプレゼントキャンペーン、キューブ版もeカードでしたっけ、へんな実験ぽいことをいろいろやってましたよね。どうぶつの森で実験って、おだやかじゃないですけども。

ともかく、そういう出自を持つ(とかいって憶測を根拠にする陰謀説のロジックですが)「どうぶつの森」が、ついに理想的なネットワーク環境を持つハードで発売されたってのは、なーんか、よかったね! という気が非常にしますな。泣けますよ、場合によっては。

そりゃ「おいでよ」! って、言いたくなるよね。

今日聞いたpodcast

またさぼってしまったので大量に。


もやもやする

■きのうはRoger Ibarsさんによる自作デバイスの作品群「Hard-wired devices」というのを見つけて喜んでいた。見てもらうとわかるとおり、ひじょうにチープな電子機器(安そうなデジタル置時計やタイマー、ゲームウォッチのような電子おもちゃ)に、任天堂やATARIなどののテレビゲームハードについているコントローラを、強引に接続しているだけのもの(engadgetの記事によるとちゃんとコントローラとしてハードを操作できるらしい)。ひじょうにバカくさい。のだがしかし、とてもいい、というか、なんかどきどきする。

なにに惹かれるのか考えてみたのだけど、ごつくてジョイステックやボタンがたくさんついたりしているコントローラが、貧弱な7セグLEDからなるデジタル時計につながっているという「操作系と表示系のアンバランス」に、もやもやする感じを受けるような気がしている。ようは、目隠しされた人のようというか。マゾヒスティックというか。ヘンタイだということかな。

とはいえ、ボリュームつまみが死ぬほどついてるけど表示系はやっぱりLEDだったりするアナログシンセを見てもそういうことは思わないので、やっぱりたんにその末端肥大的な奇形性に惹かれてるのかも。どっちにしてもヘンタイか。

■きのうはもうひとつ、「牛骨君の日常」というアニメーション作品を見つけて、やっぱり喜んでいた。山崎涼子さんの作品で、自身のサイトgyukotsupageで公開されているもの。いや、素晴らしい。

「牛骨君」という牛骨であるらしいキャラクターのみじかいアニメーションが、ある気分や冷静な観察に関する文章とともに、いくつも繰り返される。という、とにかく説明がむずかしい類の映像作品。何かに似てないかなと思ったけど思いつかない(海外の短編アニメーションにこういうスタイルの作品は多いような気はする)。無理やり言うと、「たれぱんだ」とか「こげぱん」みたいなキャラクターアニメーションを異常なほどそぎ落として洗練させて、それこそ骨だけにするとこんな感じかもしれない。そんなことないか。それは失礼か。ともかく僕はこの作品の寡黙なユーモアがすごく大好き。「続・牛骨君の日常」の「帰れば何か思い付くと思う。」のあたりとか、ほんとうにしびれた。

あとSEのセンスにも脱帽。ミュージックビデオ仕立ての3 Di- blogs?もいいな。とてもおすすめです。

きょう聞いたPodcast

きょうっていうか、今週分。


テレビが消える

■土曜日に多摩美情報デザイン学科情報芸術コースの卒業制作展「デザインする情報芸術」を見てきた。横浜の赤レンガ倉庫にて(展示は週末で終わってます)。

僕は工学部卒の人間なので、美大関係の仕事にかかわってはじめてあーそうかと思ったのだけど、卒論ではなく卒業制作をおこなう学校というのは、当然ながら成果物が完成したあとに「卒制展で展示」というフェーズがある。卒論でもいちおう発表というのはあるけど公にやるものじゃないしふつうそれほど大変なものじゃない(と思う)のにくらべると、立体だったり吊りだったり上映だったりインスタレーションだったりと各自まちまちな作品を、設営して搬入して展示して開場して閉場して搬出して撤収するというのは、それはもう途方もなく大変なのだった。美大生にとってはあたりまえのことなのだけど(そして学校もだいぶんはバックアップするのだろうけど)、赤レンガ倉庫みたいな外のおおきなスペースでそこにあわせた展示を計画して、DMやパンフや公式サイトも作って、イベントとして成立させるってのは、素朴にいってたいしたもんだと思う。情報芸術コースってことでメディアアートっぽい作品も多かったんだけど、展示空間も含めるとメディア芸術祭よりも充実してるように見えた、とか言うと怒られるかな。

作品もいろいろ面白かった。string oscllation(映像の手前に張られたワイヤーを弾くと、映像の中のワイヤーの影が波のように揺れるという作品)がシンプルながら映像とワイヤーのテンションのミスマッチ感がお気に入り。processing関係でいろいろお世話になってるTakachinくんの力作千篇書道は前見たときよりかなりバージョンが上がって気持ちよくなっててよかったし(flash版を早く開発してください!)。 IAMTVTUNERINTERFACEとかconあたりを見逃しちゃったのが残念。あと、ライブで見た中ではDJ motumiya(100円ショップで買い集めてきたらしきガラクタをDJブースを仕立てて、曲(自作だそうです)に合わせてエアDJ(スクラッチの音のところでカセットコンロの上に乗せた100均のテレビ回転台をこする、とか)をするというパフォーマンス)がすごかった。パーフェクト。

■んで日曜日は女子美の卒制展も観てきた。こっちは教えてたりするので別の意味で感慨が。やっぱり学校ごとのキャラというのもありますな。アホさでつっぱしっている作品(ひとりで100人のコスプレをして架空のストリートスナップ本をつくった作品とか、テレビのリモコンを操作するとテレビ番組の中に映ってるテレビが消える作品とか!)がまぶしかった。きみらはこんごもKeep It Simple, Stupid! でよろしく。

今日聞いたPodcast


悲しかった

■確定申告書にデータを入力している途中でブラウザが落ちて悲しかった。

今日聞いたPodcast

月曜からのぶん。


Amazonからアートワークを追加.js

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RecommuniHacks の続きで、 Recommuniでダウンロードした曲にアートワークを追加 なんてのを作って遊んでいたんですが、これがけっこう楽しくてふつうの曲でもやりたくなったので、Amazonから(アーティスト名とアルバム名で該当すれば)アートワークを追加できるスクリプトを書きました。

blog.bulknews.net で宮川さんがつくってた「 iTunes のアートワークを Amazon Web Services からとってくる 」とおんなじですが、まあActivePerlとモジュールがインストールされてなくても使える、というのが利点かなと。AWSのディベロッパトークン(というのですか)は必要です。 Amazon Web サービス登録ページ で登録すればもらえます。ぼくもさっきもらいました。

だいたいもともとCDDBのアーティスト名/アルバム名だろうからAmazonで引っかからないのも多いし、てきとうに書いてるのでうまくいかないかもしれませんが、とりあえず。


不思議に飽きずに

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※写真は作品とは関係ないただのハレーション

■天気が最高だったので、原美術館にいってみた。原美術館は建物がとてもよくて、こんな日にいけばさぞ気持ちよかろうという考えだったのだけど、オラファー エリアソン『影の光』が今日で最終日だったせいで、ほんとうにものすごい混雑だった(そもそのこの展示はもともと盛況で会期が1ヶ月延長されたりしてたしね)。ギャラリーの入場料はらうのに15分待ちって初めてだったな。

これで作品が小さな絵だったりすると人ごみで見えなかったりして悲しくなりそうなところだけど、オラファーエリアソンの作品はどれも大規模なインスタレーションで、部屋に入ることさえできれば順番や場所を気にせず鑑賞できてよかった。光と影と虹彩との関係を、ただゆっくり見せる、というのみの作品が多かったけど、なかなかこれが不思議に飽きずに見ていた。人がいないとまた違った感じかも。

しかし関係ないけど、原美術館のサイトは施設の情報・利用案内のサイトとしては無駄にかっこいいかわりに切実に使いづらいので、なんというか、勘弁してほしい。

帰りに品川プリンスシネマでのび太の恐竜2006も観た。ひじょうに力の入ったアニメーション(タケコプターの浮遊感とか気持ちよかったな)は堪能したんだけど、話の展開はなんだか後半ぐたぐたで、うーむと思ってしまった。

今日聞いたPodcast


管弦楽のかけら

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■仕事が終わってから東横線でみなとみらいは馬車道まで足を伸ばして、「Live Fantasista PIRAMI meets 喪服の裾をからげ」というイベントを見てきた。いやあ、変だった。満足。

とその前に。今横浜にあるギャラリー(というか、イベントスペースかな?)BankART Studio NYKElectric Fantasistaというメディアアート、テクノロジーアートの展覧会をやっていて、「Live Fantasista〜」はそのなかの1イベントだった。展示のほうにもミスをするとプレイヤーに熱や電気ショックで身体的なペナルティを与えるという危険なゲーム機「PainStation」(//////////fur////)やら、椅子のマイクに向かって喋った言葉が、機械翻訳と合成音声と音声認識のリレーを経て不思議な伝言ゲームになっていくという作品「MisLeading MisReading」(United Bows)やら、おもしろいものがたくさんあったんだけど、イベント準備でちゃんと体験できなかったのが残念。

で、イベントのほう。ライブストリーミングで商品の購入を呼びかけて、クレジットカード決済で購入するとライブで注文を受けつけるんだけど、べつに商品を発送してくれるわけではなく、それだけ。という、なんというか、なんともいえない、ライブというかパフォーマンスを行っている「喪服の裾をからげ」というサイトがあって、今回はその「喪服〜」ライブの特別バージョンとしてPIRAMIさんという作曲家とその楽団が、ストリーミング視聴者からの注文に合わせて即興で作曲、演奏を行うという「即興音楽のオンライン販売」の、公開ライブというものだった。ちなみに、そのお金を払って購入された曲が演奏されるときはストリーミングの音声は止められてしまい、買った人は自分の曲を聴くことができない。それは最初から決まっていることなので詐欺ではなく、にもかかわらず何人かの購入者が現れ、その購入者に捧げられた音楽が、当人のいない場所で作曲され、当人は聴けないまま演奏されていった。

いっぽう会場の観客としては、オンラインで誰かが購入してくれないと音楽が演奏されないコンサートなわけで、そこに来てるほうもどうかと思うけど、んーでも、なんか楽しかった。不思議で。たまに注文が入ると演者はもちろん観客にも(!)安堵がひろがって拍手が起こり、金額によって演奏時間が決まっているらしくほとんどが1分未満のかわいらしい管弦楽のかけらがふわりと演奏されるのだった。なんというか、いまどきここまでぜいたくに大真面目にハプニングをやる、というのもなかなかないのではないだろうか。しかもなんだか、ほのぼのしてよかったな。

今日聞いたPodcast


日常性を獲得することこそが

発熱地帯:ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているのかもしれない。を読んで、ひさしぶりにゲームと物語についてとりとめもなく考えた。個人的な好みとカンから言うと、「ゲームはストーリーよりも日常を描くのに向いているか?」と言われれば、イエスだと思う。前そういうことについてずーーーっと考えてた。まとまらなかったけど。

ただ、そこでいう「日常」というのは、こうしてやっぱりカッコでくくっておくべきものなんじゃないかなーと思う。発熱地帯さんはその「日常」を脳トレやnintendogsやMMORPGに結びつけて、日常性を取り入れたライトな感覚のゲームの隆盛について説明しているんだけど(これはこれで説得力あるんですが)、なんかそこ、僕は逆じゃないかという気がする。カンですよ、カンだけど。

つまり、ゲームが日常性を表現していたというよりも、「日常性を獲得することこそが、ゲームになってた」んじゃなかったか、と思うのだった。これただの言葉あそびかな?

ToHeartを例でひきあいに出すと、ToHeart(みたいな美少女ゲーム)の愚直なまでのカレンダー式日常進行は、そこで展開されるシナリオの「ある短さ」とか「ある長さ」というものを、的確に演出するために利用されてたように思うし、ゲームの中に、そのゲームの世界が進行する時間単位というものを設定して(*)、プレイヤーにその「時間」の流れ、「日常」性を体験させる、というのが、過去ゲームが行ってきたことじゃなかったかなーと。そうだとしてそれはプレイヤーに、実際には存在しない「日常」を感じさせること自体が、ゲームらしい面白みとして実現されていたのであって、ライフタイムとしての日常性とは別のものではないか、という気がする。では今はやっている毎日ちょっとづつやるゲームたちがどっちなのかというのは、ちょっと言い切りたくないのだけど。

  • (*)誤解されそうかも。ゲームシステムに時間の概念があって〜という話ではないですよ。そういう場合もあるだろうけど。たとえばゲームがステージで分かれてて1面づつクリアーしていくとか、テレビ番組仕立てで各話に予告編があるとか、あるいは意味もなく時間が来ると1ゲーム終了(巨人のドシンとかピクミンみたいな)とか、ともかくゲームがショートタームで文節されている場合のような話です。

もうひとついうと、つまり、ゲームの上では「物語」と「日常」って対抗概念ではないのかもしれないなと。

なんちて、ひさしぶりにこんな話をしてみた。ゲームぜんぜんやってないのに!

今日聞いたPodcast


■きのうのメディア芸術祭と「ユビキタス・ガジェット」の話。

■メディア芸術祭は1時間くらいでざっと見ただけなんだけど。ひっかかってくる作品は映像作品が多かった気がした。

とか面白かったな(というか、ほかのも面白そうだったけどちゃんと観れなかった)。

アート部門は毎度ながら展示スペースがすごく制限されてるからちとつらいなーと(あと、すでに見たことある作品が多かったので新鮮味もあんまりだったような)。

■もうひとつ、秋葉原ダイビルの産学交流ゾーン「アキバテクノクラブ」で行われたイベント「ユビキタス・ガジェット」に参加してきた。はこだて未来大学の迎山和司さんが中心になって開催されている「未来パーティ」というイベントがあって、今回はそれの最終回だそう(ちなみに前回のイベントでは、僕にも声がかかって発表させてもらったりしました)。

今回は増井俊之さんがホストで、氏の推薦で招かれた実験的なインターフェイスや作品を作られている方々のプレゼンとデモ、という内容。「ユビキタス・ガジェット」というテーマは後から決まったそうで全員が「こんなテーマだったとは聞いてなかった」と言っていたような気がするけど、実際はUI研究で有名な方々が集まっていたかっこうで、すげーかっこいいユーザーインターフェイスを動くデモで見せてもらえて、たいへん刺激的だった(内容については塚本牧生さんのmixi日記に詳しくまとまってます)。

最近ものすごく話題になってた「Multi-Touch Interaction Researchとかもそうだったけど、新しいユーザーインターフェイスとそれによって開かれる世界というのは、話だけ聞いてもぜんぜんぴんとこないのに、実際に動くものを見たり自分で体験したりすると以後の認識がまるっきり入れ替わってしまったりするものだと思うので、こういうデモが見られる機会がもっとあるといいな。とりあえず渡辺恵太さんの VisualHapticsとか五十嵐健夫さんのAs-Rigid-As-Possible Shape Manipulationはデモや映像が公開されてるので来れなかった人も必見必見。