『anarchive n°6 - Masaki Fujihata -』を読んだ

anarchive n°6 - Masaki Fujihata -
[輸入販売]藤幡正樹全作品集MASAKI FUJIHATA Anarchive6 | 左右社

藤幡さんの作品集「Anachive No.6」が届いた。アーティストの全作品とその批評を本や映像メディアなどで多角的に収録した作品集を制作、発行するプロジェクト「Anachive」(anarchy + archiveの造語で「アナーシーブ」と読むらしい)のひとつとして3年ごしで制作されたものだそう。ICCやらいま個展をしているAsk?で直販しているらしいけど、国内販売を委託されている左右社のサイトにあったので注文してみたらわりとすぐに届いた。

作品集全体が3穴リングの分厚いバインダーになっていて、作品ごとのリーフレットや折り込みのシートを順序などを入れ替えつつ綴じて見られるという趣向。藤幡正樹文脈でいうと『脱着するリアリティー』の図録みたいな感じ、ということなのかな(脱リア図録は手にとって読んだことはないので想像)。モノとしてうれしい。そういえば2003年の世界グラフィック会議名古屋(作品集に収録されている藤幡さんの作品「パラレルリアリティ」も上演されてた)のガイドブックもこういう感じだった。

藤幡さんは作品自体の魅力やコンセプトの力強さもさることながら、ご本人の文章におけるメディアとアートについての洞察と作品との対応関係にもほかの作家にない強さがあるので、この作品集はほんとうに幸せなかたちでまとまっていると思う。読んでいろいろ考えたけど「Beyond Pages」の自作解説で触れられている「インプットとアウトプットの間の詩的な関係性」というものは、僕がインタラクティブな作品にもとめているものの核心に近いなと思った。

あとこの作品集にはiOSアプリを通してみるとARコンテンツが見られるという仕組みもあるんだけど、当のアプリがリジェクトを食らってまだリリースされていないということなのでリリースされたらアプリも含めてあらためて再読することにした。


dommuneでの谷口暁彦ライブがよかった

DOMMUNE PROGRAM INFORMATION 2016/02/17 (水) | DOMMUNE(ドミューン)

珍しくdommuneの放送情報が放送前に得られたので(基本それ見たかったなーというものを後から知るばかりなんだけど、dommuneの放送情報をみんなどこで得てるんだろう&どこでどういう環境で見てるんだろう…)すごく久しぶりに生放送を観た。

前半は19日にある『DIGITAL CHOC X チャネル @SuperDeluxe』のプレイベントとして、『デジタル・ショック』に合わせて来日しているAlex Augier,1024 Architectureと田所淳さんのトークで、後半は谷口暁彦さんのライブを含むDJ&VJだったんだけど、この回の谷口暁彦さんのライブがものすごくインパクトがあっておもしろかった。ちょうどおなじくdommuneを見ていたらしいガビンさんが

というツイートをしてたんだけど、ある意味これに応えるものになっていた気もする。

ライブ内容としては、谷口さんがUnity(だと思う)で本人をかなり精巧に模した3Dアバターとちょっとかわったシーンを制作して、そのシーンを谷口アバターでウォークスルーできるようにした作品(「essay」シリーズ?)を使って、アバターを操作してシーンを移動しながらシーンの各所に配されたテキスト(エッセイ?)を朗読するものだった。

ゲームエンジンを使っていわゆるゲームの文脈を超えた没入的なフィクションやメタフィジカルな作品を制作する動きはインディーゲームのなかでかなり活発になっているけど、谷口さんの作品もそうした流れに対応しているようでもあり、それらをさらにもう2ひねりくらいしているようでもあり、ゲーム(的映像)プレイ+ポエトリーリーディングという形式(ゲーム実況?)のフレッシュさもあいまってものすごく魅力的だった。とくに途中谷口アバターが林を抜けて辿り着いた先に巨大な谷口アバターが(その場で谷口さん本人がそうしているとおりに)Macを操作してブラウザでdommuneのサイトを見ているシーンのスケール感と現実感がいっしょに喪失する感覚はすごかった。あるいは「バーチャルワールドに見返されてる感」というか。

再度見られる機会を期待。


『デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来』を観た

Tokyo Midtown Design Hub | 東京ミッドタウン・デザインハブ | デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来

最終日の閉館間際に駆け込みで見てきた。「計算を主な技法としたグラフィックス、インターネットなどのデジタル環境を活動の場としたデジタルメディア作品」というくくりで日本のグラフィックデザインに関わりのある作品を紹介する展示で、ここがある意味この展示のキモだったんだけどソフトウェアの作品は当時のマシン環境を可能な限り再現する形で動態展示していた。iMacもちゃんと最新モデルからボンダイブルーの初代iMacまで歴代モデルを使って当時の作品を見せていたり、さらにはClassic MacOS時代のフロッピー/CD-ROM作品もかなりオンボロながらも当時のマシンやデバイス(1ボタンマウス!)をちゃんと用意していた。以前この展示のキュレーターである永原さんが(メディア芸術祭でデジタローグ江並さんの功労賞受賞トークのときに)当時のマルチメディア作品を動かすマシンを保存していると言ってたので、そういった個人所有の貴重なマシンを借り出して展示したんだろうなと。

恥ずかしながらデジタローグのジョン前田作品とか「Popup Computer」とかは実動するものを初めて触った。おもしろいなと思ったのは展示構成としてデジタルメディアとグラフィックデザインの関係の歴史が70年代以前のプレデジタルメディア時代、80年代のCG時代、90年代のマルチメディア時代、00年代のウェブ広告時代と分けられていたんだけど、こう分けると90年代だけがパーソナルメディアがグラフィックデザインの舞台になっていたんだなと。実際には90年代以降はwebを通じたパーソナルメディア表現は行われていたし今もされているわけだけど、そういうのはこういう回顧展の枠に収めにくいということかもしれない。似たようなことは『路上と観察をめぐる表現史』の路上観察の歴史年表を見たときも思った(90年代以降、路上観察の文脈はwebページをメディアとして拡大していたと思うのだが、その文脈が年表にとらえられていないように思った)。


馬定延『日本メディアアート史』を読んだ

日本メディアアート史
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1970年以降の日本のメディアアートが、というより、「日本のメディアアート環境」がいかに成り立ってきたのか。作家論や作品論ではなく、歴史そのものでもなく、「なぜ彼らはその時その作品が作れたのか」を資料や証言からたどりなおした本。もとが博士論文なためか硬質な文体だけど(先日のトークショーで馬さん本人は「そういう本ばかりで日本語を学んだため」と言っていだけど)すごくリーダビリティが高くてあっという間に読めた。

かつてないスピードでテクノロジーが発展しその期待が極限まで高まっていた時代、その期待を動員せんとする国や企業が、未来ビジョンとしての「テクノロジーの過激な使用」を求めてアーティストに特権(技術や舞台)を用意した。ある時点までの日本のメディアアートがその「特権性」のことだったことを本書は繰り返し確認している。そしてその時代の寵児としての側面をふくめた多くの「はかなさ」ゆえに、時代を経たメディアアート作品を正当に評価することは極めて難しい。しかしそれでもメディアアートとその作家が好きだという筆者がとり得たもっとも誠実な態度が本書の歴史記述なんだろうと理解した。八谷和彦さんが「鏡はもっとも理想的なメディアアートのかたち」ということを言っていたけど、この本もある種の人々にとっては自分の姿を映す鏡のように見えるのではないかと思った。