『超・いま・ここ』展についてのエントリにHouxoQueさんから回答をもらった

谷口暁彦 個展「超・いま・ここ」トークイベント『ディスプレイをめぐって』を聴いてきた」でトークイベント拝聴中に浮かんだ質問(?)を書いていたら、HouxoQueさんが見つけてくださったようでTwitterで自らの考えを返してくれていた。

VRのような技術によって、それまでディスプレイごしに見ることしかできなかった世界の「中に入った」という感覚を得られたとしても、現実として存在している<私>がその境界を超えたわけではない。その意味ではこれほどに現実感を感じ、没入している世界に<私>がいないということの不可解さはより深まるのかもしれない。だからこそそこに頑として存在する境界の象徴である「ディスプレイ」の、その表面と対峙することが必要になる。そんなふうに理解した。鑑賞体験の質の問題(Queさんのツイートの前半で触れられているもの)は想定していたんだけど、後半については言われてみればその通りながらそんな発想はなかったので刺激的だった。こんな場末のブログの書き散らしに真摯に回答いただいたHouxoQueさんありがとうございました。


『PC88ゲームの世界』


久しぶりに秋葉原に行ったので秋葉原BEEPで買った。まだ全部内容見れてないけど(というかデータベースみたいなものなので通読するというものでもないだろうけど)、いろんな意味でおもしろい。PC88のゲームの歴史を追えるという部分はもちろん、完全なアマチュアが見よう見まねで始めたとほぼしきコンピュータソフトウェアの(一応「ゲーム」という共通認識はあるとはいえ)パッケージ化やその流通の変遷(それがものすごいスピードで規模を拡大して定型を確立していく過程)とその土台としての80年代初頭以降の日本文化が垣間見えるところが。

あとこのソフト自体が(たぶんもともとWebで公開してたコンテンツなんだろうと思うけど)CSS以前のWeb1.0感ばりばりのhtmlコンテンツなので、今の眼から見ると扱われている82年頃のゲームに近いプリミティブさがあるようにも思えてそこもいい。


Youtubeプレイヤーの非公開動画のサムネイル

ちょっと前のブログエントリとかによくある、当時は見られたYoutube動画のプレイヤー(ブログパーツ)が、いまは非公開になってしまって見れないことを示す表示がふと気になって、元画像を調べてみた。

forbidden-player

こういうやつ

インスペクタで調べると解像度120x90、サイズ1097バイトのjpeg画像を拡大してることがわかった(上端のフェードは別の画像でつけている)。直リンするとこれ。

original-forbidden-thumbnail

これめちゃめちゃ参照される画像だから極力小さいjpeg画像にしているというのはあるんだろうけど、このブロックノイズが出まくった小さい画像を拡大して非公開動画として表示されることによって醸される「不吉さ」には誰もが気づいていると思うし、なにか別の表現に使われていくと思う(もう使われてるのかもしれないけどまだ見たことがない)


三宅陽一郎『人工知能のための哲学塾』を読んだ

人工知能のための哲学塾 | 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社


この本の刊行記念トークショーにBNNの編集さんに誘われてまだ読む前に三宅さんのトークを聞いたんだけど、語られている哲学の知恵が実際にどのように人工知能に組み込まれるものなのかイメージできなくて、その時点ではけっこう「?」と思った。実際に本を読んでみたら、そういういますぐ応用しようとするような昨今のAIブームに乗るような発想ではなく、そもそも人間は自分たちの知能というものをどうとらえてきたのかを哲学を通して知ることこそが、人工知能をほんとうの知能にするために必要だという視点での工学者が語る哲学入門という感じの本だった。扱われている現象系の哲学については固有名詞以外はほとんど知らなかったのでとても興味深く読んだ。もうちょっと深く知りたいな。

関係ないけどというかカルチョビットもやってるからだけど、ほぼ人工知能のゲームばかり作っているともいえる園部さんの人工知能観ってどこかで語られていたりするのかな。三宅さんとの対談とか聞いてみたいもの。


中村至男『中村至男展』を観た

中村至男展|展覧会・イベント | クリエイションギャラリーG8


最終日に駆け込みで観てきた。中村至男さんの作品がG8のガラスの箱みたいなスペースに合ってたし作品もまとめて観られてよかった。

「見る、読む、聞くを限りなく同化させようと試みたスタディ」だという映像作品のシリーズ(松井さん/森田さん/エイドリアン)が可能性感じておもしろかった。しゃべる人の映像のくちびるの部分にトラッキングさせて、その瞬間発音している音(ひらがな/カタカナ)を表示するもの。単語を1つづつ高速で表示して英文を読むメソッドを連想した。

単語を1つづつ高速で表示して英文を読むやつ、ちゃんと名称があったよなーと思って調べ直した。RSVP(Rapid Serial Visual Presentation)だった。


菅俊一『指向性の原理』を見た

SOBO / Asyl


午前中に見てから仕事行こうと思って11:30ぐらいに到着したらまだギャラリーがまだ開いてなくて一悶着(というか)あった。SOBOの展示は過去も何度かこういうことあって、入って真っ暗な中に何か置いてあるように見える…こういう展示なのかな…と思ってたらあとから電気がついたりとか。

『指向性の原理』のほうはタイトルそのものというか、良質なグラフィックデザインが暗黙に利用している視線誘導の原理を標本化したような展示。おもしろく見た。

ギャラリーに置いてあったシールで「指向性をひとつ持ち帰れる」とこもよかった。

ここにおさまってる

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『TIME LOCKER』

TIME LOCKER - Shooter Game

ちょっと前に話題になっていたF2Pのスマートフォン向けシューティングゲーム『TIME LOCKER』のAndroid版が公開されたのでプレイしてみた。ゲームのトーンや演出にコンシューマゲームよりWebスペシャルコンテンツ全盛期のFlashぽさが随所に感じられて、開発者のotsukaさんはソーシャルゲーム系の会社からドロップアウトされたとインタビューで読んだけど、もともとはFlash畑(もしくは、Flashコンテンツの表現に魅了されていた)方なのかな。今だと逆に新鮮な感じ。

画面構成や展開は縦スクロールシューティングにかなり近いんだけど、画面スワイプによるプレイヤーキャラクターの操作に合わせて敵キャラクターも動くという特殊なシステムが特徴のゲーム。ちょっとローグライクっぽくなってるのかなというのが予想だったんだけど、敵や地形、ドロップアイテムのランダム性はあるものの、手を止めて次の展開を予測しながら動きを決めるようなプレイにはなりにくく、結局は力押しの一手というゲームのような気がする(まだ高次面に進んでないので先は変わってくるのかもしれない)。おそらくローグライクにしようという意識はあるはずでシューティングが始まる前のロビー部分の作りにはそういう方向性を感じるし、「自分が動くと時間が進む」というコンセプトの元になっていると思われる『SUPER HOT』にもローグライクの詰将棋的なプレイ感覚があるんじゃないかと思うんだけど(未プレイなので想像)、ローグライク的なスルメゲーというよりは短いプレイ時間で爽快感を得られる方向にチューニングされたのかな。

実際にプレイしてみて思ったのは、プレイヤーがスワイプしている間だけゲームプレイが進行するというこのゲームのシステムは、ゲームのルールというよりも、「自分のテンポでプレイできる」という自己帰属感に奉仕するものなんだろうということ。サウンド面の演出もそうなっている。それはそれであるというか、スマホゲームはボリュームを調整するみたいに、ゲームスピードを無段階調整できてもいいものなのかもしれない。

あと思い出したのは『キングスナイト』で、「シューティングRPG」というコンセプトをローグライクに寄せたメカニクスでリメイクしたようなゲームもありそうだなと思った。


イェスパー・ユール『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』を読んだ

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム
イェスパー・ユール
ニューゲームズオーダー (2016-09-30)
売り上げランキング: 73,497

half-real - New Games Order, LLC.
(発行元ニューゲームズオーダーのサイトでpdf版も販売中)


素晴らしく面白く、興奮したまま読み終えた。僕はこういう本を長らく待ち望んでいたんだと思う。

half-real』(原著は小文字つづりなんですな)は、デンマーク出身のゲーム研究者イェスパー・ユールの博士論文をもとに2005年に刊行された書籍で、すでにゲーム研究の古典とされる論考。原著から10年を経て刊行された待望の邦訳版がこの『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』で、これでようやく僕のような英語の原著を読み下せない人間もこの古典の内容に触れることができるようになったわけだけど、確かにこの本は「ゲームとは何か」「ゲームがコンピュータと出会ってなにが起きたのか」そして「ビデオゲームとはどういうものなのか」といった問いに、10年やそこらでは古びない議論や指摘を与えてくれる。例示されるゲームは『チューチューロケット!』とかでなるほどと思ったりするが、もちろんそういうことは本質とは関係なく、つべこべ言わずに読むべきという本。

訳者の松永さんも巻末で解説している通り、『ハーフリアル』の主張のひとつは先行する「ゲームの定義」に対する議論を整理し、6項目からなる包括的で説得力のある定義を提出しているところだ。この定義はこの本において「古典的ゲームモデル」だとされる。古典的というのはそれより新しいモデルがあるという意味ではない。本書のもうひとつの主張は、いま一般にゲームと呼ばれるものの大部分を指すところのビデオゲームは、この「古典的ゲームモデル」の全部ないし一部が、虚構世界の「実装」として利用され、ゲームモデルと虚構世界とが互いをうながしあうように経験される、新しいかたちの表現形式として発達したものとして考えるべきだというものだ。

僕が興奮したのは、ビデオゲームとは「ゲーム(古典的ゲームモデル)」に虚構世界が付加されただけのものなのではなく、虚構世界の出来事や行為の「現実的な側面」の実装としてゲームモデルが利用されているものなのであり、しかもそれはプレイヤーにとっては逆向きに経験される、つまりプレイヤーは虚構世界の舞台設定やキャラクターの意匠を通じて、そこに埋め込まれたルールを理解するのだという指摘だった。いわばプレイヤーが虚構世界の中にゲームを発見するという構造こそがビデオゲームの本質なのだ。これはこの本の議論からは飛躍した僕の妄想なのかもしれないけど、そのように考えると、僕が昔からビデオゲームのなかに見出そうとしていた感覚を説明できるように思えた。

ほかにもインターフェイスやインタラクションの分野に接続できそうなしびれるような指摘がたくさんあり、ゲーム研究の学術書という狭いカテゴリにどどまらず広く読まれるべき本だと思う。ぜひみんな読んでほしい。もっかいリンクを貼っておきます。


ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム
イェスパー・ユール
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half-real - New Games Order, LLC.
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『メディア芸術祭20周年企画展 変える力』/『『Windows』/『『フィットネス. | ftnss.show』を見た

Japan Media Arts Festival | メディア芸術祭20周年企画展

TOKIO|GALLERY OUT of PLACE

アキバタマビ21 | akibatamabi21|exhibition


3331に行っていろいろ見てきた。

メ芸20周年展はほぼ通り過ぎたに近かった。『10番目の感傷(点・線・面)』はかなり狭い部屋に三連の時計の秒針の音が支配的に響くぜんぜn印象の違う展示になってたのが興味深かった。あと興味深いといえば受賞漫画作品アーカイブ展示の部屋に置いてあった歴代のメ芸受賞作品紹介冊子で、僕は第5回くらいから見覚えあるなという感じだったんだけど、第1回の冊子がすごくてお役所感全開メディア芸術感ゼロの非DTP冊子で立ち上げ当時の状況がなによりもよく分かる資料だった。

昔のメ芸冊子お役所感よかった

kotaro tanakaさん(@doppac)が投稿した写真 -

Houxo Que、須賀悠介の二人展『Windows』はとてもよかった。Houxo Queさんの作品は写真や作品に関する言説はよく見ていたけど実物を見るのは初めてで、静止画で見るのと大違いなのを痛感した。須賀さんの作品はいい感じのジャンクスマホをオークションで手に入れてそれを元に彫ったという「スクリーンの割れ」の彫刻作品で、これもよかった。

アキバタマビのフィットネス展もなかなか飽きない展示でよかった。なべたん氏の作品はいつもの自分をコンピュータにする系統の作品で好きだった。


ナムジュン・パイク 没後10年展『2020年笑っているのは誰 ?+?=??』を見た

watari-um - exhibition ナムジュン・パイク、没後10年、2020年笑っているのは誰


休日にフリータイムをもらったので最終日かけこみで見てきた。ヨーゼフ・ボイス、ジョージ・マチューナスとの出会いの逸話(パイクがバイオリンを破壊する演奏をするのをバイオリン奏者が止めようとして、そこにマニューナスが『演奏を妨害するな!』と一喝したという)がおもしろかったな。

いまブラウン管のテレビの映像観ると(映像ソース自体が一般的なビデオ信号よりも出力が大きかったりしているのかもしれないが)やたらとぎらぎらして生き物としての映像が脈を打っているようであらためてすごい魅力的だなと思った。いま再現するの故障も多そうだし大変そうだけど。

テレビ(のガワ)をキャンバスにペインティングしてる作品は昨今の液晶モニタにペインティングする作品を連想した。