アプリ開発者とTumblr(「Desiging Tumblr」掲載コラム)

初出:「Designing Tumblr」(BNN新社)


Designing Tumblr デザイニング・タンブラー

ビー・エヌ・エヌ新社
売り上げランキング: 53,289

Tumblrは開発者にも人気!

Tumblrはそのデザイン性やクリエイティビティに魅かれたユーザーだけでなく、ハッカー気質の強い開発者の間でも人気が高いサービスです。個性の強いTumblrというサービスに集まった開発者がつくるツールやサービスは最先端の技術やコンセプトを取り入れた実験性の高いものが多いのも特徴的で、本書で紹介されているアプリ、Webサービス、ブラウザ機能拡張以外にも、サービス開始当初から(すでに役割を終えたものも含め)無数の実験的ツールやサービスが公開されています。本稿ではそんなTumblrとツール、サービス開発者の関係について解説します。

ブラウザ機能拡張でユーザーが進化させたDashboard

Tumblrが開発者を魅了したポイントとして、Tumblrというサービスにある種『魅力的な使いづらさ』があったのだと筆者を考えます。サービス開始よりAPIが整備され、ユーザーが好みのアプリやサービスを通して見ることが普通だったTwitterなどと違い、Tumblrではある時点までタイムラインAPIの提供が行われずユーザー体験がDashboardに集約される形で(おそらく意図的に)制約されていました。ブラウザ機能拡張によるDashboardの「改造」やツールを使うユーザー間の独自の文化(Autopagerizeでタイムラインをさかのぼることを「掘る」「潜る」などと表現するような)が発展したのはこうした背景があります。現在はAPIが整備され、閲覧方法はアプリやサービスなどさまざまなスタイルになりましたが、Dashboardという標準画面を拡張していかに使うかという部分に多くの開発者が取り組み、Tumblrの使われ方自体を発展させるような文化はまだ残っているように感じます。こうしたユーザーによる機能拡張の流れにTumblr本体が影響され、標準に組み込まれた機能が多いのもTumblrらしいところでしょう。LDRizeに代表されるキーボードショートカット、「エンドレス スクロール」として取り込まれたAutopagerizeの機能や、現在はテーマとしてもよく見られる写真ポストのグリッド表示も、「TUMBLR MOZAIC VIEWER」を見たTumblrスタッフがインスパイアされ本家のArchve機能としていち早く取り入れたことをスタッフブログで表明しています。

Tumblrのサービスデザインが、アプリの増殖をうながす

Tumblrのもうひとつ重要な特徴として、通常のブログサービスと異なり写真、映像、引用など投稿のメディアタイプが明確に区別されている点があります。このシンプルなルールはブログユーザーにとっても投稿を気軽にできるメリットがありますが、投稿支援アプリやTumblrのコンテンツを利用するアプリを開発したりするうえでもメリットになっています。「Tombloo」のような投稿系の機能拡張が選択メディアや動画サイトから1クリックで狙い通りの投稿ができるのも、投稿メディアタイプを持つTumblrの設計によるものですし、投稿されたコンテンツが常に正しいメディアの種類を知っていることで、「Tumblrに投稿された写真のみを表示する」ようなサービスが格段に開発しやすい環境になっているわけです。このように、ルールひとつで投稿の促進やコンテンツの再利用を促すTumblerのエレガントさにより、多くのツールやアプリ、サービスが生まれている面もあります。


「ゲームの身体化」「身体のゲーム化」に見るメディア芸術としてのコンピュータゲーム(「メディア芸術アーカイブス」掲載コラム)

初出:「メディア芸術アーカイブス 15 YEARS OF MEDIA ARTS」(BNN新社 2012-03-01)


メディア芸術アーカイブス 15 YEARS OF MEDIA ARTS

ビー・エヌ・エヌ新社
売り上げランキング: 86,345

マニュアルUIとオートマUI

メディア芸術が提唱されはじめた1997年は、当時「次世代機」と呼ばれた3Dグラフィックチップを搭載したコンシューマハードの登場から数年を経て、各ハードの機能を引き出し表現を洗練させたゲームが出そろった円熟期にあたります。3Dグラフィックによるゲーム表現が一般化、高度化する一方、それまでの2Dゲームでは明快だったゲームの操作系とゲーム画面との直交性、直感的なプレイ感覚を実現することが想像以上に難しいことも明らかになるなか、このころコンピュータゲームのインターフェイスに関する方向性、プレイヤーに提供する感覚へのアプローチが、大きく二つの流れに別れたと筆者は考えています。 そのひとつは、ゲームのインターフェイスにおいてプレイヤーの操作とゲームでのアクションの直交性を重視し、多くのボタンや複雑な操作がゲームプレイにおいて習熟されることを前提とする、いわば「ゲームを身体化」させるアプローチです。この流れのなかにあるゲームはハードの進化に応じて映像表現や感覚を精緻化し続けながらも、旧来のコンピュータゲームが持っていたゲームへの没入感、ゲームプレイの競技性、スポーツ性をスポイルしないまま「ゲームでなければ味わえない体験」を実現してきたと考えることができます。本稿ではこの「ゲームの身体化」アプローチのゲームを「マニュアルUI」のゲームと呼びます。もう一つは、ゲーム内でのプレイヤーキャラクターのアクションやゲームの展開と、コントローラーで行う操作との直接的な対応を緩めるかわりに、ゲームにおいてプレイヤーが「したいこと」が実現されるようなゲームデザインを施すことで、結果的にプレイヤーの満足や爽快感を演出するアプローチです。前者になぞらえるならばこちらは「身体のゲーム化」が目指されていると言えるでしょう。この「身体のゲーム化」指向を「オートマUI」のゲームと呼ぶことにします。「ゲームの身体化(マニュアル UI)」と「身体のゲーム化(オートマ UI)」は、一見同語反復のように見えながらも、その実まったく対称的なアプローチです。またこの2つは現在の、熱狂的なファンが支持するマニアックでコアなゲーム群と、ライトユーザーをターゲットにしたゲームであるようなないようなゲーム群とを象徴しているとも言えるでしょう。本稿では、この「マニュアルUI」「オートマUI」という2つのアプローチからこの15年のコンピュータゲームを概観し、メディア芸術としてのコンピュータゲームを図式化する試みをしたいと思います。

3DアクションとオートマUIの発展

1998年「ゼルダの伝説 時のオカリナ」は、当時模索されていた3Dアクションゲームのあり方に当時の任天堂が提出した回答といえるものであり、オートマUI アプローチの端緒だったと筆者は考えています。Zボタンでリンクの操作を敵と対峙し間合いを保つ戦闘状態のふるまいに移行するシステムや、制御が難しい3次元空間でのジャンプアクションを「プレイヤーにジャンプブタンを押させない」というデザインにより解 決するなど、3次元になって複雑になったアクションゲームを誰でも遊べるようにするアイデアはこの時点で多く生まれています。この後も任天堂の3Dアクションゲームに対する意識は2007年「スーパーマリオギャラクシー」や最新作である 2011 年「スーパーマリオ3Dランド」まで一貫しています。単純で直感的なコントローラー操作をゲーム内でのキャラクターの状態や状況に合わせインテリジェントにゲームプレイに展開していくオートマ UIは任天堂のアクションゲーム以外にも見ることができます。なかでも、巨大な「動く平面」をプレイヤーのアクションの舞台とすることでダイナミックなシーンと操作の平易さや手応えを実現する「巨像」というアイデアを提出した2005年「ワンダと巨像」などはオートマUI指向の強い作品と言えるでしょう。

音楽ゲームとマニュアルUI指向

一方、マニュアルUI指向は 2001年「Halo」をはじめとするコアゲーマー向けの FPSや、 2005年「モンスターハンター ポータブル」のような、シビアで正確な操作を要求するアクションゲームが代表となりますが、1997年「ビートマニア」や1998 年「Dance Dance Revolution」などに始まるリズムアクション、音楽ゲームの流れにも見ることができます。同じく音楽やリズムをモチーフにしたゲームの中でも2001年「Rez」や2008年「Wii Music」などが「音楽がプレイヤーに合わせてくれる」ようなプレイ感覚を目指している(オートマUI指向)のに対し、「ビートマニ ア」やあるいは2006年「リズム天国」などは、シビアなリズムパターンをひたすら体にたたき込んでリズムと同期できるようになってからがプレイの楽しみになっているわけです。このようにとらえると、マニュアルUI指向のゲームは各年代においてさまざまな形で提供されていると見ることができるでしょう。

センサー入力による身体のゲーム化

一般的なコントローラではなくセンサーや外部デバイスによって体の動きを直接ゲームに取り込むアプローチも、一種のオートマUIと考えられます。2000年「コロコロカービィ」、2002 年「EyeToy:Play」、2004年「 まわるメイドインマリオ」など に単発的に組み込まれていたセンサー入力によるゲームインターフェイスは、Nintendo DSやWiiといった任天堂ハードに標準の操作系として採用されることにより本格化しています。2007年「Wii Sports」ではスポーツゲームをリアルに感じさせるための巧みな ジェスチャデザインや演出(Wii リモコン内蔵スピーカーからの効 果音など)が秀逸でした。一方で、センサーや動きによる 操作方法は認識精度や速度に限界があるため、マニュアルUIアプローチの作品はあまり登場していません。巨大な専用コンソールでの操作でマニュアル操作、コックピット感覚を強調した 2007年
「鉄騎」はセンサーではないものの身体化のひとつの形とは言えるかもしれません。

人工知能/コミュニケーション/ネッ トワークのゲーム化アプローチ

オートマUIアプローチによるゲームの系譜の一つとして、1999年「シーマン 〜禁断のペット〜」をはじめとする人工知能とのかかわりをモチーフとしたゲームがあります。これらのゲームは、人間との対等なコミュニケーションには不十分な機能しかない人工知能プログラムを、あえてコミュニケーション手段が限定されたゲーム内のパートナーとして設定することで、「意志疎通できた(ように感じられる)!」という実感にフォーカスさせるようにデザインされています。2003年「くまうた」では演歌歌手であるくまが作るでたらめな演歌の歌詞を、ダメ出しを繰り返すことでその持ち味を引き出し、でたらめながらも感動的な演歌を二人三脚で生み出す、という奇跡(!)のコラボレーションが生まれますが、これは身体としてのコミュニケーションがゲーム化されたオートマUIと考えることができるでしょう。 センサー入力同様、マニュアルUIアプローチでは人工知能がゲームそのもののモチーフになることは少ないですが(人工知能の限界、不確実性が身体化の疎外要素として働くからでしょう)、それと対 置されるのがマニュアルUIゲームにおけるネットワークマルチプレイだと言えるのではないでしょうか。競技性、スポーツ性の高いマニュアルUIアプローチのゲームは必然的にリアルタイム指向の対戦プレイやマルチプレイを特徴とすることになるわけです。

「HEAVY RAIN」と Kinect

ここまで見てきたマニュアルUI、オートマUIアプローチの系譜における最先端として近作を挙げるとすれば、その一つは2010年「HEAVY RAIN 心の軋むとき」になるでしょう。「HEAVY RAIN」は本稿で見たマニュアルUI、「ゲームの身体化」アプロー チを極端な形で推し進めることで コンピュータゲームの新たなあり方を模索した意欲作です。「HEAVY RAIN」では、これまでマニュアルUIのゲームで特徴として挙げてきた競技的なゲーム内容ではなく、アドベンチャーゲームのような物語主体のゲーム デザインとしてこのアプローチが 採用された特異なゲームです。そこでは通常のゲームであれば省略されるプレイヤーが操作する人物の仕草や手順(人物が冷蔵庫を空け、牛乳パックを手に取り、口をつけてあおって飲むまでの動作のような)のすべてに直接的なコントローラー操作を割り当ててプレイヤーに演技させることで、フィクションの登場人物をゲームプレイにおいて身体化し、編集や映像手法によってではなくコントローラーの操作というゲーム特有のプロセスよってその人物のドラマを体験させることが目指されています。その試みは全てが成功しているとも言えませんが、「ゲームの身体化」アプローチの達成として特筆すべきものだと言えるでしょう。

他方オートマUIの達成としてはゲームシステムとしてのKinectが挙げられるかもしれません。Kinectはほぼ完成形といっていい精度でセンサー入力が可能で、真の意味でプレイヤーの身体をゲームの中に取り込むことができるようになっています。現在の Kinectゲームはこのポテンシャルを生かしきれていないとも言えますが、メディア芸術としてのコンピューターゲームの新局面はこれらの意欲的な試みが切り開いていくものと筆者は考えます。