高橋ヨシキ『高橋ヨシキのシネマストリップ』を読んだ

商品一覧:高橋ヨシキのシネマストリップ


奥さんが買ってきて借りて読んだ(スモール出版の本ばっかり読んでる)。

取り上げている映画がいわゆる秘宝系というか、ジャンルムービーのものばかりになっているけど、「極端な世界設定や大胆な誇張を盛り込むことで、現実世界で誰もが気づいていながら見て見ぬふりをしている『本当のこと』を描いている映画」を紹介するというセレクトのロジックが明快でよかった。各紹介で恒例になっている「この映画を一言で言うと…」という要約の身も蓋もなさも素晴らしい。全体を通して高橋ヨシキさんの真っ当さが際立つ一冊だった。


ブングジャム+古川耕『この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議』を読んだ

商品一覧:この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議


(スモール出版のDIALOGUE BOOKシリーズの他例にもれず)あっという間に読み終わったけど、「文房具のこの10年」は確かに語るに足るテーマで面白かった。この10年と言いつつ現在あるような(機能やデザインが追求され、日常の消耗品としてではなく「主役」の商品として重宝されるようになった)文房具のすがたが現れはじめたは2002年のコクヨ「カドケシ」発売からとこの本では定義されており、そしてカドケシは2002年から始まったコクヨデザインアワードの受賞作でもあり(2002年はほぼ日手帖が発売された年でもある)、つまりゼロ年代以降のデザインブームを下支えしてきたのが文房具だったということになるんだろうな。


千野帽子『なぜ人は物語を求めるか』を読んだ

筑摩書房 人はなぜ物語を求めるのか / 千野 帽子 著


帰省の行き帰りで読んだやつ。人にとって物語とはなんなのか、というか「人にとって物語とはなんなのか」という問いかたがすでに物語を要求しているよなと書いてみて思ったけど、人や人同士がコミュニケートするためのトークンとしてどれだけ物語が使われ、その物語がいかに無意識下に人を制約しているかを優しい語り口で教えてくれるいい本で、「優しい語り口で世界の見方をドラスティックに変えてくれる」という僕のなかでの「いい新書」の定義に合致してうれしかった。

この本では人は「物語を作る動物」だとされていたけど、いまの僕には『第四の革命』での「情報を食べて意味(セマンティクス)を紡ぐ情報有機体(Inforg)」のパラフレーズに感じられた、次は(『人はなぜ物語を求めるのか』でも何度も引用されている)マリー=ロール ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』を読んでみたい。


千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』を読んだ

別のしかたで :千葉 雅也|河出書房新社


幸福はなぜ哲学の問題になるのか』のなかでこの本からファミコンのゲーム(に代表される、ハードスペックが極めて制限されていたころのゲーム)がもつ世界の緊張感についての話が引用されていて、どういう文脈なのかなと思って読んだ。ツイートをまとめた本なのね。

該当ツイートみつけた。

すぐ読み終わったけど、おもしろかったしツイートをまとめた本の本文の組み方の例としても参考になった。筒井康隆のエッセイとか日記とかを思い出して、そういう意味では文庫で読めると「らしい」感じの内容だったかな。


ゲー夢エリア51『ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐』を読んだ

(同人誌)ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐ [ゲーム探偵団(ゲームミュージック館)]


遠山茂樹作品集3部作につづく、ギャラクシアン、ポールポジションの企画者澤野和則さんのインタビュー同人誌。僕は恥ずかしながら澤野さんがナムコのビデオゲーム最初期作品を多く企画していたことを認識していなかったので、それら作品がエレメカ時代に培われた映像技術とミニマムな娯楽の要素の融合というコンセプトでそれこそリッジレーサーあたりまで一貫していると語られていたのが新鮮でおもしろかった。澤野さんが語るような短時間でプレイヤーを最大限楽しませることを至上とする直球ストレートの企画(『ポールポジション』の企画書に「(コンセプト通りの作品になれば)コースは直線であっても十分ゲームとして成立する」と名言されていたのが印象的だった)、80sデザインを見事にキャッチアップしていた当時のナムコデザイン課の仕事の両輪が80年代ナムコを支えていたんだな。


菅俊一『観察の練習』を読んだ

『観察の練習』


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買ってあったのをようやく通読した。やっぱ何よりこの造本が素晴らしいの一言。カバーなしで厚めのコーティングがある上製本という仕様(図書館本の感触!)。こんな感じのポケット漢和辞典使ってたな…という感じの判型と表紙や背のデザイン。黒板を思わせる目の粗い黒の遊び紙と学校配布物を思わせる派手な黄色のカラーペーパー(アイデアインクでも思ったけどカラーペーパーを使った本が喚起する抽象的な学校のもの感すごいと思う)。菅さんの観察からなる内容に気づかされることが多いのはもちろんながら、この本の物理的な設計がひとびとのなかに眠る「向学心」を刺激することに成功しているんだと思う。

あとあんまり関係ないけど思ったのは、VOWとか路上観察学会とかもそうなんだけど、「観察の練習」にはコミュニティがあったほうがいいんだよなーということ。いまならtwitterやinstagramのハッシュタグで疑似同期的なコミュニティは作っていけるんだろうけど。


赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』を読んだ

ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム 赤野 工作:書籍 | KADOKAWA [~ https://www.kadokawa.co.jp/product/321702001852/]


カクヨムのサイトに載っているのでどうしても読むことができなくて(カクヨムに限らず横書きスクロール形式の小説読書にどうにも適応できない)、本を買って読んだ。全身をサイバネティクス化して生き延びている22世紀の老ゲームマニアが、21世紀後期のマニアックな低評価ビデオゲームを、90年代〜2000年代初頭の個人サイトでひっそりと更新されていたゲームレビューサイトさながらのゲーマー一人語りとして綴っていく、という体のSF小説。ゲームマニアの内輪受けっぽいネタがゲームマニアの内輪受けっぽい文体で書かれているんだったらやだなーと思いつつ読み始めたんだけど、各回で取り上げられるゲームのアイデアがたいへん気が利いていてとても楽しめた。とはいえ長かったなー。Web小説ベースだとこうなってしまうということかな。

タイ語はなんとかなった

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大澤聡 編著『1990年代論』を読んだ

1990年代論 :大澤 聡|河出書房新社


ある程度見取り図が把握できている第2部の文化パートより、第1部の社会・政治パート、とくに「心理」(松本卓也さん)「宗教」(太田俊寛)の論考が興味深かった。というか、90年代の「心理」と「宗教」がおもしろいものだったということかもしれないな。エッセイ系では五所純子さんのがおもしろかった。

さやわかさんの「排除のゲーム史」もテクノロジーの発展と併走することが当然視されるビデオゲームという文化では、メインストリームから「排除」されることからしか円熟が生まれないという逆説が語られていて納得したけど、90年代ノベルゲームの到達点とFPSによる一人称的な物語の円熟との関係は「ゲームエンジン」がデファクト化したところでの作品性の追求という共通点もあるよなーと思った。


『ゲンロン6 ロシア現代思想 I』を読んだ

ゲンロンショップ / ゲンロン6


年末からちびちび読んで年明けに読み終えた。力の入った特集、小特集に連載論考が偶然なのだろうけど響き合っている(速水健朗『独立国家論』やプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』にユートピアとしての共産主義の影が見えたりとか)ように読めたのがよかった。あと『個人的なハーモニー』の「個人的」ってキーワードはどこかしらロシア的な想像力につながってるのかなーなんてことも思った。

高木刑『ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地』も強烈なヴィジョンを堪能しつつ楽しく読めたけど(頭の中でイメージがDeath Strandingのトレーラーにつながってた)、好みでいうと『カランポーの王は死んだ』のほうが好きだったかな。


平松るい『かど松 2018 特集 いぬ』を読んだ

年賀雑誌かど松2018 特集いぬ | かど松屋さん


判型で意表をつくやつはやってるな

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判型が変わった第4号。ひらまつさんのデザイン&発注スキル向上によるものか異種の用紙をまぜこんだ製本になってたり挟み込みの別冊まんががついてたりとジンっぽさが増している(あと紙質がグラビア誌っぽいからかいままでになく雑誌を読んでる気分になった)いっぽうで(あの唐突な)人物取材/インタビュー記事がなかったのは残念に思った。連載陣では細馬さんのぼんやりエッセイが優勝。

これまでのかど松レビュー