立命館大学アート・リサーチセンター『ゲーム展TEN』で『リアル・タイム・マシーン展』が紹介されてます

「ゲーム展TEN」開催中 ~ 立命館大学ゲーム研究センター: Ritsumeikan Center for Game Studies(RCGS)


立命館大学アート・リサーチセンターで、「(おもに国内の)デジタルゲームを扱った企画展」そのものの歴史や系譜、展望を扱った企画展『ゲーム展TEN』が開催されていて(1/29から公開されていて2/14まで)、僕の2005年の個展『リアル・タイム・マシーン展』も紹介してもらっている。去年の秋に井上明人さんに声をかけていただき、ゲーム研究センターの研究者の方々に取材してもらっていて(文化庁のメディア芸術に関するアーカイビングの一環だそう)、そのときに「できれば『ゲームの企画展についての企画展』をやりたいんですよね」という話をきいてそれは見てみたいですねーという話をしていたところ、実現かなったようでまずはめでたい。

扱われている企画展については、おそらく個別のゲームや作家にフォーカスした展示は避け、デジタルゲームというカテゴリ自体を扱う展示に絞るというような基準で選ばれているものだと思うんだけど、『東京藝術大学ゲーム学科(仮)展』があるなら、奥田栄希さんの『悲しいゲーム展』とか、METEORの『わたしのファミカセ展』とかはあってもよかったのでは…というか僕のだけ浮いてるのでは…と思った。「デジタルゲームをめぐる保存や利活用」という観点でいうと『パックマン展』は取材したほうがよかっただろうし(展示してないだけで取材はしてるのかもしれないですが)、ただ範囲を広げるときりがないというのもよくわかるので難しい。ちょっと展示期間中に立命館に行って展示が見られるかわからないけど、『ゲーム展TEN』のキュレーションの意図が現地で伝わるものになってるといいな。


せっかくいい機会なので、個展関係の記事をこのブログにインポートしておいた(Work in progressはいま公開するのはかなり恥ずかしいな…ミュージックバトンとか書いてあるよ)。

当時に近いかたちとしては、いちおう http://realtimemachine.sakura.ne.jp/collisions/works/exhibition に残っている。というかこのさくらのレンサバ自体がこの展示のため(『PONG-ED』でボールの位置情報を中継するソケットサーバスクリプトを置いてた)に借りたとこだった。

あとはこの個展の作品の原型である実験映像『プロジェクト:ビデオ同期』シリーズ。当時シェアハウスしてた友人らとしていた「オリジナル基板と移植版に同じコントローラつないでゲームすれば移植度がわかるのでは?」というバカ話を実際にやってみたら、移植度うんぬんというより純粋に体験として面白かった、というのがこの一連の活動の原点かな。

当時のmixiの日記とかを振り返っていて思い出したけど、女子美の助手が終わるころガビンさんから「個展とかやらないの〜(やれ)」という背中押しを何度もされていて(ガビンさんに誘われて仕事をやめて短任期の非常勤助手をはじめて、その後のことも決まってなかったので)、でも作品制作そのものもやったことないのでぼんやりしたまま任期も終わり30歳にもなってしまったところ、ギャラリー企画展に次の作家を探していたクキモトさん(当時藝大先端にいた)にガビンさんが僕をつないでくれて、結果なにか制作せざるをおえなくなった、という経緯だった。まあでもやっぱり追い詰められてでも個展としてやっておいたおかげで今回のように13年を経て紹介してもらえるような機会もあったわけでよかったなと。


ゲー夢エリア51『ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐』を読んだ

(同人誌)ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐ [ゲーム探偵団(ゲームミュージック館)]


遠山茂樹作品集3部作につづく、ギャラクシアン、ポールポジションの企画者澤野和則さんのインタビュー同人誌。僕は恥ずかしながら澤野さんがナムコのビデオゲーム最初期作品を多く企画していたことを認識していなかったので、それら作品がエレメカ時代に培われた映像技術とミニマムな娯楽の要素の融合というコンセプトでそれこそリッジレーサーあたりまで一貫していると語られていたのが新鮮でおもしろかった。澤野さんが語るような短時間でプレイヤーを最大限楽しませることを至上とする直球ストレートの企画(『ポールポジション』の企画書に「(コンセプト通りの作品になれば)コースは直線であっても十分ゲームとして成立する」と名言されていたのが印象的だった)、80sデザインを見事にキャッチアップしていた当時のナムコデザイン課の仕事の両輪が80年代ナムコを支えていたんだな。


ナンシー・マイヤーズ『マイ・インターン』を観た

映画『マイ・インターン』オフィシャルサイト


ずいぶん前に録画してあったのを観た。熟年インターンの話なのはなんとなく知ってたけど、企業は主婦が立ち上げて急成長中のECベンチャーという設定なのね。ウェルメイドなラブコメ風味のお仕事もの映画として面白かったけど、「若さを手放して枯れた存在感を手に入れたいが、他方あらゆる分野においての『現役感』は保ちたい」という男性一般の矛盾した願望が全面的に展開されていて恥ずかしい感じもあるなと思った。監督男性かと思ったら女性だった。



Mysqlのスキーマと初期レコードをpdfのテーブル/マスタ定義書として書き出す

dotimpact/pdf-db-spec: mysqlの既存テーブルからpdfのドキュメントを作る


いまやってる仕事(わりと堅い)で詳細仕様書の一部としてDBのテーブル定義書を作ることになり、手でつくるのは面倒なのでDBマイグレーションツールで作成したDBのテーブルと初期データをドキュメント化する方法をいろいろ試して、最終的にMysqlのXML/HTML出力を加工してpdfにするスクリプトを作ったので公開しておいた。Mysql限定で、wkhtmltopdfも必要。

最初schema2rstを試して、Htmlドキュメントとしてはなかなかよかったんだけど、ドキュメントとして共有するのにpdf化するにはあんまり向いてなかったので、続・MySQL データベースからテーブル定義書を生成する - 私と私の猫の他は誰でも隠し事を持っているの出力をwkhtmltopdfでpdfにするアプローチにした(xsltとhtmlのスタイルはほぼそのまま使ってます。ありがとうございます)。wkhtmltopdfでレンダリングされるhtmlドキュメントのサイズがあんまりうまく制御できなかったので、--zoomで適当に拡大している。あと長いテーブルの途中で改行されるときにテーブルヘッドがちゃんと表示されるように

1
2
3
thead { display: table-header-group }
tfoot { display: table-row-group }
tr { page-break-inside: avoid }

を入れた。

あと、今回DBマイグレーションツールにPhinxを使ってみたらわりと便利でよかった。ほんとはこれのマイグレーションにフックしてドキュメントを生成できたるするといいのかな。


菅俊一『観察の練習』を読んだ

『観察の練習』


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買ってあったのをようやく通読した。やっぱ何よりこの造本が素晴らしいの一言。カバーなしで厚めのコーティングがある上製本という仕様(図書館本の感触!)。こんな感じのポケット漢和辞典使ってたな…という感じの判型と表紙や背のデザイン。黒板を思わせる目の粗い黒の遊び紙と学校配布物を思わせる派手な黄色のカラーペーパー(アイデアインクでも思ったけどカラーペーパーを使った本が喚起する抽象的な学校のもの感すごいと思う)。菅さんの観察からなる内容に気づかされることが多いのはもちろんながら、この本の物理的な設計がひとびとのなかに眠る「向学心」を刺激することに成功しているんだと思う。

あとあんまり関係ないけど思ったのは、VOWとか路上観察学会とかもそうなんだけど、「観察の練習」にはコミュニティがあったほうがいいんだよなーということ。いまならtwitterやinstagramのハッシュタグで疑似同期的なコミュニティは作っていけるんだろうけど。


グレッグ・コーズ『AlphaGo』を観た

AlphaGo


AlphaGoのドキュメンタリー、観たいなと思ってたらNetflixにあったので観た。感動的なドキュメンタリーだった。イ・セドルの「1勝で十分」という言葉が響くな。

第四の革命読んで以来、シンタクティックエンジンとしての人工知能と、セマンティックエンジンとしての人間の関係のあり方が気になっていて、AlphaGoについても人間と人工知能の対決というよりも、囲碁という表現において人工知能がすることに人間が意味を見いだそうとしている、という感じなのかなと思う。


赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』を読んだ

ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム 赤野 工作:書籍 | KADOKAWA [~ https://www.kadokawa.co.jp/product/321702001852/]


カクヨムのサイトに載っているのでどうしても読むことができなくて(カクヨムに限らず横書きスクロール形式の小説読書にどうにも適応できない)、本を買って読んだ。全身をサイバネティクス化して生き延びている22世紀の老ゲームマニアが、21世紀後期のマニアックな低評価ビデオゲームを、90年代〜2000年代初頭の個人サイトでひっそりと更新されていたゲームレビューサイトさながらのゲーマー一人語りとして綴っていく、という体のSF小説。ゲームマニアの内輪受けっぽいネタがゲームマニアの内輪受けっぽい文体で書かれているんだったらやだなーと思いつつ読み始めたんだけど、各回で取り上げられるゲームのアイデアがたいへん気が利いていてとても楽しめた。とはいえ長かったなー。Web小説ベースだとこうなってしまうということかな。

タイ語はなんとかなった

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大澤聡 編著『1990年代論』を読んだ

1990年代論 :大澤 聡|河出書房新社


ある程度見取り図が把握できている第2部の文化パートより、第1部の社会・政治パート、とくに「心理」(松本卓也さん)「宗教」(太田俊寛)の論考が興味深かった。というか、90年代の「心理」と「宗教」がおもしろいものだったということかもしれないな。エッセイ系では五所純子さんのがおもしろかった。

さやわかさんの「排除のゲーム史」もテクノロジーの発展と併走することが当然視されるビデオゲームという文化では、メインストリームから「排除」されることからしか円熟が生まれないという逆説が語られていて納得したけど、90年代ノベルゲームの到達点とFPSによる一人称的な物語の円熟との関係は「ゲームエンジン」がデファクト化したところでの作品性の追求という共通点もあるよなーと思った。


「MEDIA PRACTICE 17-18 東京藝術大学 大学院映像研究科 メディア映像専攻 年次成果発表会』を見た

MEDIA PRACTICE 17-18 東京藝術大学 大学院映像研究科 メディア映像専攻 年次成果発表会


毎年行けないなーと思っていたMEDIA PRACTICE初めて行けた。考えてみたらそもそも美大の卒制展そのものも最近見てなかったな。面白い作品多くてよかった。それと修了生の作品と各研究室の座談会をまとめたプログラム(アンケートに答えるともらえた)がとてもよくできていてびっくりした。座談会どれもおもしろい。

作品ではやっぱり早川翔人さんの作品がいちばんぐっときた(『誰にでも』は「田中さん」と呼びかけられる作品でもありベストマッチだった)んだけど、プログラムのほうでまとまられていた自作の狙いとアプローチの変遷もとてもクリアでそれもよかった。