藤森照信『人間と建築の歴史』を読んだ

人類と建築の歴史 (ちくまプリマー新書)
藤森 照信
筑摩書房
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帰省の新幹線内で読んだ。先日kindleでセールになってたときに買ってたやつ。amazon/kindleは基本あえて避けるようにしているんだけど(電子書籍プラットフォームはkinoppyがメイン)、セールで出物を見つけて買ってしまうというのは(古本以外では)いままであまりなかった本との出会いかたではあるな。

縄文建築家らしく内容の半分以上を縄文以前(新石器時代まで)に費やし、当時の環境とテクノロジー(石器により調達可能な建材)とから推察される「住まい」が生まれる瞬間と、原始宗教とその信仰のよりしろとしての「建築」が生まれる瞬間を描きだし、あとは信仰の対象が建築のかたちを決めるのだとしてモダニズム建築まで駆け抜ける。

信仰が建築やよりしろの形を定めるのだとすれば、いまの日本が完全に信仰をうしなった状態なのだというのがよくわかる。


NHK総合『建築は知っている』を観た

まずこれエントリ立てるときに「hexo new archtecture-knows-」って書いて次になにが来るのか考えた。「〜age」なのか「〜japan」なのか。番組意図としてはjapanなのかなと思いつつageにした。

1月3日の新春特番として放映されてたのをわりと最近録画で観た。日本戦後70年の各時代を象徴する建築がいかなる構想のもとに生まれ、「当時の未来」をどう体現しているのか。藤村龍至さんをナビゲーターに「建築に語らせる」番組。

戦後70年といいつつ、番組の構成としては91年の丹下健三の東京新都庁を頂点として以後は時代を語る建築は生まれていないという感じなのかな。それはバブル崩壊やら震災やらによって未来がうしなわれたためだったのか、それともそもそも建築に未来を託すことそのものが無理になったのか。

建築と時代の記憶というのでいうと、大山顕さんのデイリーポータルZの記事「団地とデモを見に香港へ行った」のことを思い出した。この記事の最後で大山さんは、香港デモでテントで埋まったハイウェイの写真を見せながら、この光景を観た自分や香港市民は、この場所を通るときにその記憶を必ず思い出すだろうと語る。ある意思に基づいて風景が現実を超越する形で書き換えられ、その場に記憶のランドマークが打ちたてられる。

しかし「別の現在があるかもしれない」と想像するのはなかなか難しい。それを容易にするのも場所の機能だと思う。ハイウェイがハイウェイでなくなった、ここで行われたことによって「いま・ここ」にいる「私」とは別の現在と未来があるかもしれないと想像できるようになる。

このデモはそういう「想像」のために行われて、それは成功したとぼくは思う。

日本でもこういう「ランドマーク」が生まれるようになるのかしらん。