平松るい『かど松 2017 特集 とり』を読んだ

年賀雑誌かど松2017 特集とり | かど松屋さん


あー今年もかど松買わなきゃなーと思って放置してるうちに2月になっていたところ(つまり忘れていたところ)運良くひら松さんのツイートを見かけて思い出したので注文した。雑誌デザイン力は着実に上がっているようで、「年賀雑誌」とかいうよく考えると聞いたことのない文言がさも当然のように雑誌ロゴに組み込まれていて(オリジナルの封筒のヘッダにも書いてあった)頼もしい。

内容もよくなってきた気がするな(実際は一年に1回づつしか見ないからなんとなくだけど)。服部みれいさんはよく知らなくてえーと恋愛呼吸のひとだっけくらいの認識だったけど、雑誌編集ゴコロのありかたみたいなのがよくわかってよかった(弁当とか料理の盛り付けで宇宙を創造するのが大好きだとか)。

ucnvさんインタビューもおもしろかったんだけど、ちょっと疑問があったのでtwitterで質問した。

u (…)ノイズ表現って何でもそうだけど、再生機器の出力の解像度が上がることで、芸術表現の環境が整ってくるので、そこに対するカウンターとしてのローファイ欲みたいなものが組み合わさったところでグリッチ表現が確立されたんですよね。ーーで、よく言われる例として、ファミコンにカセットを半分さした状態にすると画面がぐちゃぐちゃになるのがグリッチの原体験という人が居るんだけど、ぼくはそれ、無理矢理結びつけているだけっていうか…

 あー。

u ファミコンの頃に用語としてグリッチって無かったし。

 ファミコンはずいぶん前ですねぇ

u ファミコンの画面とグリッチを結びつけている人ってドット絵表現によくあるピクセルを正方形に巨大化しているようなイメージをしているんだと思うんだけど。実際にファミコンを再生するブラウン管って全然そうじゃないし、むしろぼやけているので、頭の中でねつ造されたローファイのグリッチがあるなと僕は思っているんですよね。

平松るい『かど松 2016 特集 とり』 表紙のはなし ucnvインタビュー

で、こういうやりとり。

上に引用した部分のあとに、グリッチの定義についての話も出ていた(し、過去のucnvさんの立場として定義を重視しているように思っていた)ので、ファミカセの斜め差しがグリッチに当たらないとしたらどういう意味なのかを確認したかったんだけど、ucnvさんのインタビューでの意図としてはファミカセ斜め差しが原理的にグリッチかどうかとは関係なく、今日的なグリッチ表現の文脈とファミコンのようなローテクゆえのカオス的なグラフィック(ローファイ)は全然別のもので雑にいっしょにするべきではないということと理解した。くわしくはみんなもかど松を買って確認しよう。

これまでのかど松レビュー