ICC『オープンスペース 2016』を観た

ICC | オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス


今年はわりと早く帰省を切り上げて帰ってきたので(渋谷もお盆は人通りが少ないのが意外だった)、もう1日くらい休むことにしたんだけど、月曜日だと定休日だったので月曜は仕事して火曜にICCに行った。

毎年いちおう見に行くんだけど子連れであんまり細かく見れないまま出てしまうようなことが多いなか、ラインナップを見て今年はちゃんと一人で見に行こうと思っていた。今年のは作家のテーマを見せるタイプの作品よりは日常的な感覚とテクノロジーの接点を操作して鑑賞者の主観に介入しようとするような、正式な意味での「メディアアート」が集められていてどの作品も面白く体験した。日本人の作家がほとんどなのは10年目の節目に合わせて満を持してという感じなのか、それともたまたまなのかな。

なかでも谷口暁彦さんの『私のようなもの/見ることについて』は、作品を構成する映像は動画やライブパフォーマンスで見ていたものでその部分の衝撃を個人的には受けなかったものの(ここで初体験の人はかなり衝撃的な体験になるんじゃないだろうか)、コントローラを用意して体験型の作品にすることで映像の意味や扱っているテーマの鑑賞者への受け取られ方がかなり変わるものになっているように思った。このセット(谷口さんの3Dモデルアバターが仮想空間に配置された文章を巡回して見せていくもの)のシリーズは「essay」と呼ばれているようなんだけど、これまでそれこそエッセイのような線的な情報としてしか提供されていなかったひとの断片的な記憶や思索が、フリーローミングな空間として提供されることの面白さや可能性を初めて味わった気がした。まあ空間内にあるのは実際には記憶や思索そのものじゃないんだけど、「断片さ」が妙に生々しさをもっているので想像力が刺激されるところがあるように思う。

仮想空間を自由に動けるというだけでなく、ゲームでいうところのNPCのような役割で同じ仮想世界を動くアバターがいて(これは作品のナレーションと連動するおそらく谷口さん自身の操作のリプレイ)、いちおう「順路」のあるこの仮想空間の自然なナビゲーションになっており、かつ、作品の一部であるもう一つのプロジェクション画面はそのNPCアバターの主観映像であり、アバターによって「見られる」主体としての鑑賞者としての自分としての谷口さんの3Dスキャンアバターも作品の一部として鑑賞できる、という作品の構成としての完成度と複雑さも素晴らしかった。

もうひとつ素晴らしかったのが研究開発コーナーとして作品と併設された『明治大学 渡邊恵太研究室 「インタラクションの現象学 人間の輪郭、世界体験の変容」』で、これも渡邊さんの研究については以前からよく知っているし『融けるデザイン』も読んだので情報としてはかなり既知だったものの、展示の完成度や説得力が素晴らしく、改めて感心できた。とくによかったのが研究内容全体(かなり長い)を伝えるいわゆるプレゼンスライドが見られるモニタ設備なんだけど、モニタが3連になっていて最新3枚のスライドがFIFOで流れていく仕掛けになっているのね。体験するとわかるけど、これ自体がスライドをめくって研究内容を知るという体験の自己帰属感をすごく高める仕掛けになっていて感動した。電子書籍にも必要なのは3連モニタのFIFO表示なのかもしれない。