平倉圭×細馬宏通×畠山宗明『「映画的」であるとはどのようなことか?』@ゲンロンカフェを観た

「映画的」であるとはどのようなことか? | ゲンロンカフェ

前回のゴダールトークが面白かったのでおなじく平倉×細馬×畠山の映画鼎談を聴いてきた。「ゼログラビティ」「マッドマックス」など話題作を引き合いに出しつついま改めて映画的であることを問う、というお題だったけど、「ゴダール以外に好きな映画は…あんまりない」と豪語する平倉さんはじめ3名がこの場で何の話をすべきかという焦点がないまま時間切れになった感があってゴダール回のような高揚感がなかったのは残念だったな。

『マッドマックス』と『ゼログラビティ』は監督が確信している映画の魂(アニマ)のありかたがまったく逆で、仮にフィルムには記録されなくても本物を本当にアクションさせることで魂が吹き込まれると考えるジョージミラー/『マッドマックス』に対し、アルフォンソ・キュアロン/『ゼログラビティ』はCGをはじめあらゆるコンポジットを完全に行い映像と観客の体験を一致させることで魂が吹き込まれると考えている、という平倉さんの分析はさすがだった。