ギム・ドワイヤー&ケヴィン・フリン「9.11 生死を分けた102分」

ギム・ドワイヤー&ケヴィン・フリン「9.11 生死を分けた102分」を読んだ。ほんとうにすごい本だった。

■言うまでもないが、この本の言う「102分」というのは、2001年9月11日のワールドトレードセンター北タワーに、ハイジャックされたアメリカン航空11便が激突した瞬間から、2棟あったタワーが両方とも完全に倒壊するまでの時間を意味する。この本は、352名を数えるという生存者、犠牲者の家族や知人、および救助隊員らへのインタビューと交信記録をもとに、ワールドトレードセンターのその「102分」すべての瞬間において、何が起き、人々は何を判断し、どう行動したかを克明に報告しようとするものだ。2機の航空機がビルに突入し、爆発し、ビルに火災が起き、やがて倒壊した。死傷者や被害者の脱出のために現場は混乱し、救助隊がそれを助けた。そこまではすでに誰でも知っている。そうではなく、ビルの内部にいたある人物が、建物を襲った衝撃が93年のテロのような地下の爆弾ではなく、航空機の突入によるものだと知ったのはその瞬間から何分後だったのか。南タワーが倒壊している瞬間、北タワーで避難や救助にあたる人々のうちそれに気付いていたのは何人いたのか。誰が誰とともに行動し、誰が誰を助け、励ましたのか。何人がどうやって倒壊寸前のビルから脱出し、何人の救助隊員が誰と誰を救助したのか。そしてどれだけの被害者と救助隊員が、どういう状況で、倒壊に巻き込まれたのか。そういうことをこの本は明らかにしようとしている(もちろん、本に登場するのは被害者のごくごく一部でしかないのだが)。その作業のためにこの本の執筆には3年間が必要だったとされている。

■世界一のフロア数を持っていた2棟のビルのほとんどの階での出来事と、そこにいた被害者と救助隊員の状況と判断と明らかな限りの交信記録とを、 102分の時間に沿って並列させるという、とてつもない構成をこの本はとっている。事故調査委員会の報告書であれば、こんな複雑な構成は不必要だっただろう。けどおそらく著者らは、この把握が困難なほどの同時性こそが、当時のワールドトレードセンターで進行していた事態なのだと確信しているはずだ。混乱と絶望と恐怖、すれ違う報告と伝わらない重大なメッセージ、統率を失った組織の無力と個人の判断の力。こうしたすべてが9.11のワールドトレードセンターに交錯し、人々はそのすべてを経験した。その状況は救助に向かっていた警察官や消防隊員についても同様であり、彼らもある種の被害者であったというのがこの本の基調だ。倒壊寸前のビルの上層部へと、鎮火が不可能なことを知りつつ消火用の重装備をかついだまま、非常階段を使って一段づつ上っていかざるを得なかった消防隊員たちは、その時点で報告や指令を受ける本部とのチャンネルをほぼ完全に失っていたのだと著者らは指摘する。そのために比較的低層にいた隊員たちが、倒壊するビルから脱出できず犠牲になったのだと。9.11の悲劇は「911(アメリカのエマージェンシーコールナンバーだ)」の悲劇でもあった、というのがこの本の最終的な結論のひとつだろう。

■そしてまた、この本はワールドトレードセンターの物語でもある。テロリストに「資本主義の象徴」と呼ばれたこのビルは事実、経済効率のために避難路の確保や耐火構造の検証を極限まで、致命的なまでに軽視していた。40年前に建築法を改正してまで推進されたこのビルの建設は、そこに働く人々の生活を変え栄光のランドマークとしてマンハッタンの風景になっていた一方で、ビル中央に集中したたった3つの非常階段が同時に寸断された場合、上層居住者はどのように脱出したらいいか、といった想定をまったく考慮しないまま、「ボーイング707が激突しても倒れない」と謳っていたという。航空機が突入した階層の上にいた1500名を越す被害者は逃げ場を失い、地獄のような煙と熱に苛まれながら、崩れる床や天井に沈んだ。彼ら彼女らはその直前まで電話やメールで家族や同僚と連絡を取りあっており、その悲痛な声が記録に残されている。この本では、倒れるはずがなかったワールドトレードセンターの2つのタワーがなす術もなく倒壊する姿を何度も、タイタニック号の沈没に例える。二十世紀最大の悲劇は、二十一世紀最初の悲劇の教訓になり得なかったのかと。そしてこの悲劇の教訓こそは、後世に伝えるべきであると。


■ちなみにamazonのレビューに「訳が直訳に過ぎる」という評があるけど、僕はそうは思わなかった。入り組んだ構成を日本語の呼吸に組みなおした良質な訳だと思う。執拗なほどの描写の連続を直訳的だと判断したのかもしれないけど、これは原文もこうだったろうと思える。著者たちはすでに存在しないワールドトレードセンターとそこにいた犠牲者たちの102分を、1センテンスでも多く書き尽くそうとしているのだ。そうなるに決まっているではないか。