千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』を読んだ

別のしかたで :千葉 雅也|河出書房新社


幸福はなぜ哲学の問題になるのか』のなかでこの本からファミコンのゲーム(に代表される、ハードスペックが極めて制限されていたころのゲーム)がもつ世界の緊張感についての話が引用されていて、どういう文脈なのかなと思って読んだ。ツイートをまとめた本なのね。

該当ツイートみつけた。

すぐ読み終わったけど、おもしろかったしツイートをまとめた本の本文の組み方の例としても参考になった。筒井康隆のエッセイとか日記とかを思い出して、そういう意味では文庫で読めると「らしい」感じの内容だったかな。


スマートフォンをHuawei P10にした

HUAWEI P10 スマートフォン | 携帯電話 | HUAWEI Japan [~ https://consumer.huawei.com/jp/phones/p10/]


Xperia Z5 Compactまる2年使ってデバイス的には気に入っていたんだけど、背面ガラスが割れたりバッテリーが半日保たなくなってしまったりしてきたこともあり買い換えた。Huawei P10はやや前のモデルで割高でおそらく1ヶ月以内にP20が発表されるだろうという微妙なタイミングだけど、4GBメモリ搭載でなるべく小さい端末という要件は外したくなかったので選んだ。ここにこだわらなければnova2 liteとか最新型で値段半分なのはわかっていたので悩ましかった。

まだ買ったばっかりで自慢のデュアルライカレンズの写真も含めぜんぜん使ってないけど(Z5Cから移ってきた身としてはカメラの起動が早いのが画質よりうれしい)、Huawei端末ではFAQらしい妙に厳重なバックグラウンド動作アプリの機能制限はひっかかったので(Radikoがすぐ切れるとか)解消した。


ラバーカップで風呂場の排水詰まりを直す

いまの家は風呂の排水と脱衣所の洗濯槽の排水の配管の具合なのか、配水管の通りが悪くなると(あとうちは朝子供と僕が入浴することによる排水と、その残り湯を使って即座に始める洗濯の排水が重なることによるピーク排水量が多いみたいなこともありそう)、あっという間にすすぎ排水が洗濯槽をあふれて脱衣場が床上浸水状態になるので、いわゆるパイプスルー的なパイプの詰まりとり剤を何度も流し込みつつ、それでも毎日しないわけにはいかない洗濯については排水があふれる直前に洗濯機を止めて水位が下がったところで再開という方法で難を凌いできた(段階排水メソッドもちょっと目を離したすきに溢れることが多々あり実際には凌げてない)。

しかし詰まりとり剤では一向に改善せず、いよいよ水のトラブル業者を呼ぶしかないかなと思っていたところ、流れが悪いを通り越して完全に詰まった排水の様子にむしろトイレの詰まりに近いものを感じたのでトイレの詰まりに使うラバーカップ(いわゆるスッポン)を風呂場の排水溝に使ってみたら、一発で詰まりが完全解消した。この数ヶ月の悪戦苦闘はなんだったのか…

考えてみると、一人暮らしを始めた18歳のころ以来トイレの詰まりと風呂場の排水パイプの詰まりには常に悩まされてきた気がする(定期的なメンテナンスを怠っているからだが)。以来25年あまり定石どおりトイレの詰まりにはラバーカップを、風呂場排水の詰まりには詰まりとり剤の流し込みのみで対処してきて、詰まりとり剤ぜんぜん効かねえなと思いつつラバーカップを風呂場で使うことを考えたことがなかったので今回目のウロコも一緒に流れた感じ。まあトイレのラバーカップを使うのは第一に不潔すぎるし心理的抵抗も大きいし、あとイメージとしてトイレの配水管より風呂場の配水管のほうが圧力に対する耐性は低そうなので常用するのはまずい気もする。どうなんだろう。でも効果が明白なので今度詰まったらまた使うだろうな。


パク・チャヌク『お嬢さん』を観た

お嬢さん|絶賛公開中!


劇場公開時に観に行き損ねていた(早稲田松竹で『哭声/コクソン』といっしょにかかってた時に見ようと思ったんだけど満員で入れなかった)のをWOWOWで録画して観た。(エロシーンふくめ)わりと冷静に観てしまった。これは劇場で観たら印象ちがっただろうな。

パク・チャヌクの映画観たことなかったけど(と思ってたらJSAは観たかもしれない)、ひじょうに精密だがどことなく奇妙な映像がずっと続く感じは他の作品もそうなのだろうか。


第10回 恵比寿映像祭「インヴィジブル」を見てきた

第10回 恵比寿映像祭(2018)


見てきた。恵比寿映像祭開催のタイミングがいいのかわりと毎年見れてる。今年はマルチスクリーンや迫力ある音響でスペクタクル! という感じの作品がすくなくて、密やかな感じの作品が目立った印象。

これまで何度かの展示を見逃し続けてた青柳菜摘『羽化日記』がようやく見られてよかった。見上げる位置に展示された昆虫観察の機材が整頓されたアクリルケースが、まるで自分が飼育ケースのなかの昆虫から、見上げた学習机の引き出しの中身を透視している視線のように思えて、『黒い土の時間』にも通じる感覚があった。

あとラファエル・ローゼンタールのレンチキュラー・ペインティングシリーズの展示があって、作品もよかったんだけど、ラファエルの作品の起点にあるインターネット感が「うつろいゆく無情の世界」と表現されていて、これはいわゆるポストインターネット的な世界観についての表現としていままで見たなかで一番納得感があったし、たしかにその感覚をラファエルは作品化しているように思った。


『佐藤大×さやわか×東浩紀「サイバーパンク放談 \#2 ーー『ブレードランナー2049』は傑作なのか、あともろもろ」』を観た

サイバーパンク放談 #2 – ゲンロンカフェ


前回に引き続き観た。サイバーパンクリバイバル系の作品以外でもスターウォーズエピソード8(そういえば観損ねたままだ)やコインチェック騒動など技術とフィクションと倫理のあり方に関する熱い話題が多くておもしろかった。

『デス・ストランディング』についての話題のなかで、SF(サイバーパンク)のテーマ性が「社会批評性」と「従来の観念を超えるヴィジョン(いわゆる『神感』)」に大別されるとして、近年社会批評性が注目されがちだけど『デス・ストランディング』はあきらかに神感を打ち出してきているので期待したいという話が東さんから出ていて、ゲンロン6を読んだときに高木刑『ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地』を読みながら『デス・ストランディング』を思い出してたのとつながって我が意を得たり感があった。


立命館大学アート・リサーチセンター『ゲーム展TEN』で『リアル・タイム・マシーン展』が紹介されてます

「ゲーム展TEN」開催中 ~ 立命館大学ゲーム研究センター: Ritsumeikan Center for Game Studies(RCGS)


立命館大学アート・リサーチセンターで、「(おもに国内の)デジタルゲームを扱った企画展」そのものの歴史や系譜、展望を扱った企画展『ゲーム展TEN』が開催されていて(1/29から公開されていて2/14まで)、僕の2005年の個展『リアル・タイム・マシーン展』も紹介してもらっている。去年の秋に井上明人さんに声をかけていただき、ゲーム研究センターの研究者の方々に取材してもらっていて(文化庁のメディア芸術に関するアーカイビングの一環だそう)、そのときに「できれば『ゲームの企画展についての企画展』をやりたいんですよね」という話をきいてそれは見てみたいですねーという話をしていたところ、実現かなったようでまずはめでたい。

扱われている企画展については、おそらく個別のゲームや作家にフォーカスした展示は避け、デジタルゲームというカテゴリ自体を扱う展示に絞るというような基準で選ばれているものだと思うんだけど、『東京藝術大学ゲーム学科(仮)展』があるなら、奥田栄希さんの『悲しいゲーム展』とか、METEORの『わたしのファミカセ展』とかはあってもよかったのでは…というか僕のだけ浮いてるのでは…と思った。「デジタルゲームをめぐる保存や利活用」という観点でいうと『パックマン展』は取材したほうがよかっただろうし(展示してないだけで取材はしてるのかもしれないですが)、ただ範囲を広げるときりがないというのもよくわかるので難しい。ちょっと展示期間中に立命館に行って展示が見られるかわからないけど、『ゲーム展TEN』のキュレーションの意図が現地で伝わるものになってるといいな。


せっかくいい機会なので、個展関係の記事をこのブログにインポートしておいた(Work in progressはいま公開するのはかなり恥ずかしいな…ミュージックバトンとか書いてあるよ)。

当時に近いかたちとしては、いちおう http://realtimemachine.sakura.ne.jp/collisions/works/exhibition に残っている。というかこのさくらのレンサバ自体がこの展示のため(『PONG-ED』でボールの位置情報を中継するソケットサーバスクリプトを置いてた)に借りたとこだった。

あとはこの個展の作品の原型である実験映像『プロジェクト:ビデオ同期』シリーズ。当時シェアハウスしてた友人らとしていた「オリジナル基板と移植版に同じコントローラつないでゲームすれば移植度がわかるのでは?」というバカ話を実際にやってみたら、移植度うんぬんというより純粋に体験として面白かった、というのがこの一連の活動の原点かな。

当時のmixiの日記とかを振り返っていて思い出したけど、女子美の助手が終わるころガビンさんから「個展とかやらないの〜(やれ)」という背中押しを何度もされていて(ガビンさんに誘われて仕事をやめて短任期の非常勤助手をはじめて、その後のことも決まってなかったので)、でも作品制作そのものもやったことないのでぼんやりしたまま任期も終わり30歳にもなってしまったところ、ギャラリー企画展に次の作家を探していたクキモトさん(当時藝大先端にいた)にガビンさんが僕をつないでくれて、結果なにか制作せざるをおえなくなった、という経緯だった。まあでもやっぱり追い詰められてでも個展としてやっておいたおかげで今回のように13年を経て紹介してもらえるような機会もあったわけでよかったなと。


ゲー夢エリア51『ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐』を読んだ

(同人誌)ギャラクシアン創世記 ‐澤野和則 伝‐ [ゲーム探偵団(ゲームミュージック館)]


遠山茂樹作品集3部作につづく、ギャラクシアン、ポールポジションの企画者澤野和則さんのインタビュー同人誌。僕は恥ずかしながら澤野さんがナムコのビデオゲーム最初期作品を多く企画していたことを認識していなかったので、それら作品がエレメカ時代に培われた映像技術とミニマムな娯楽の要素の融合というコンセプトでそれこそリッジレーサーあたりまで一貫していると語られていたのが新鮮でおもしろかった。澤野さんが語るような短時間でプレイヤーを最大限楽しませることを至上とする直球ストレートの企画(『ポールポジション』の企画書に「(コンセプト通りの作品になれば)コースは直線であっても十分ゲームとして成立する」と名言されていたのが印象的だった)、80sデザインを見事にキャッチアップしていた当時のナムコデザイン課の仕事の両輪が80年代ナムコを支えていたんだな。


ナンシー・マイヤーズ『マイ・インターン』を観た

映画『マイ・インターン』オフィシャルサイト


ずいぶん前に録画してあったのを観た。熟年インターンの話なのはなんとなく知ってたけど、企業は主婦が立ち上げて急成長中のECベンチャーという設定なのね。ウェルメイドなラブコメ風味のお仕事もの映画として面白かったけど、「若さを手放して枯れた存在感を手に入れたいが、他方あらゆる分野においての『現役感』は保ちたい」という男性一般の矛盾した願望が全面的に展開されていて恥ずかしい感じもあるなと思った。監督男性かと思ったら女性だった。